安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

人生の振り返り その2

小学校低学年時代のことはこちらのブログにも書いたのだが、今回は違う観点から書いていこうと思う。

小学校に入って困ったことは、人前で話せないことと他人と話すことが出来ないことだった。人前で話そうとすると極度に緊張して何も喋れなくなってしまう。幼稚園の頃にも人前で話すことはあったのだが、全部セリフが決まっていたり、何人かで喋るので特に問題がなかった。また、人前で何か行動するのは大丈夫だった。

小学校では日直制度があって、日直の人は朝の会、帰りの会の司会をやるのだが、朝の会に「1分間スピーチ」というものがあった。決められたテーマについて日直が1分間スピーチをし、聞いた人が質問や感想を言うというものだ。大半の子は、話の内容は特に何も考えてず、その日に適当に話すと言う感じだった。話していると1分経たずに終わってしまい、「あれ、やべえ笑」みたいになる結構ゆるい感じだった。しかし、私はそれが出来なかった。最初の頃は多分何も話せなくてその場に立ち尽くしていたのだと思う。見かねた先生が、私は特別に前もって話す内容を考えておいて、それを紙に書いて持ってきて、それを読み上げていいということにしてくれた。私は3日前くらいから話す内容を必死に考えて紙にまとめてそれを読み上げることにした。自分の中で完璧に推敲して仕上げた内容だと、不思議とそれを読み上げることは出来た。わずか18人しかいないクラスだったのだが、もう1人人前で喋れない子がいて、その子も同じルールになった。ただ、その子は紙に書いてきても上手く喋ることができず、泣きながら15分くらいかけて読み上げていた。今から考えるとかなり残酷だ…

1,2年生の時の休み時間は、女の子何人かで校庭で遊んでいた。私はあんまり喋らなかったけれど、不思議と一緒に遊んでくれる子はいた。一輪車がすごく流行っていたので、何人かで一輪車をして遊んだ記憶がある。私は乗れるようになるまですごく時間がかかったのに、友達は根気強く乗り方を教えてくれた。本当に良い子達だったなあ…ただ、放課後は友達と遊ぶことはなく、真っ直ぐ家に帰って弟と遊んでいた。弟と遊ぶのが大好きだったので、結構楽しかった。

3年生になると、特に仲が良い友達が出来て、その子の家が実家から近かったので、放課後頻繁に遊びに行っていた。

クラスは、多少騒いだりうるさかったり先生の言うことを聞かなかった生徒はいたが、担任の先生はちゃんと怒る先生だったし、よく生徒達を手懐けていたので、別段大きな問題は起こらなかった。問題児N君は私につきまとってきたり、授業中にうるさくしたりするのでこの頃から大嫌いだったけど。

1年生から3年生まで担任の先生が同じだったのだけど、その先生のお陰でだいぶ人前で話せるようになったので、今でも本当に感謝している。優しいけど、きちんと叱るし、生徒1人1人に向き合うとても良い先生で大好きだった。その先生と、優しい友達に囲まれて楽しい低学年時代だった。私の学校生活の中で1番楽しかった時代だった。