安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

出産を終えて

2020年最初のブログは、私の出産について書こうと思う。

唐突だが、去年の11月に元気な男の子を出産した。

 

妊娠中はなんだかんだ忙しく、ブログを更新する暇が無かった。そもそも家族以外の友人知人(本当に親しい人を除く)に妊娠を報告したのも、7ヶ月に入った頃だった。あまりお腹が大きくならなかったため、誰と会っても妊娠に気付かれることがなかったからだ。

 

妊娠発覚から出産を経て今の生活に落ち着くまでは本当に書き切れないほど様々な事があったが、今は生活もだいぶ落ち着いた。ここで1度自分の思っている事を整理しておこうと思ってブログを書いている。

 

私は元々子どもが好きだった。3歳下の弟の面倒をよく見ていたことが影響しているのだと思う。街中で赤ちゃんや小さい子どもを見かけると可愛くて幸せな気持ちになった。自分もいつか子どもを産んで育ててみたいと漠然と考えていた。結婚をし、子どもを産むことが現実味を帯びてきた。しかし、まだ若いかなという気持ちや、もう少し生活が落ち着いてからにしたいという気持ちが強かったため、もう少し先で良いと思っていた。出産に踏み切ったのは夫の強い要望があったからだ。元々私も子どもを産んで育ててみたい気持ちがあったし、夫の話を聞いているうちに先延ばしすることにあんまりがないような気がしてきたのだった。

 

そして3月初旬、妊娠していることが発覚する。嬉しさもあったが、どちらかというと不安の方が大きかった。妊娠中の不安というと、大抵は五体満足で産まれて来てくれるだろうか、何事も無く無事に出産出来るだろうかというものが多いと思うが、私は出産に対する不安よりも、そこから始まる育児に対しての不安が大きかった。悪阻真っ盛りの3月は動く事が出来なかったため、ネットで育児の情報を調べて集めまくった。しかし、そんなことをしても不安は増大するばかりだった。その事を夫に話すと、「育児に不安がない人なんているわけないじゃん。大丈夫、俺も手伝うから。」といつも言われていた。それを聞いて、いつも「まあそれもそうだな」と思う私なのであった。

 

妊娠が分かり、とりあえず親に報告しなければと思った。3月下旬、夫と私と私の両親で会う機会があり、そこで妊娠した事を報告した。この時の事を過去の私は書き残している。以下の『』内は過去の私の記録である。

『おめでとうの一言もなく、瞬く間に母は私を責め立て始めた。「子どもを育てるって物凄く大変なんだよ、あんた分かってる?!」「あんなに大変なことあんたに出来るわけないじゃない!」「何も考えてないでしょ!」などと、同じような事を2時間近くずっと繰り返し責められていた。素直に受け入れてくれないだろうということは分かっていたが、私も夫もそんなに激昂されると思っていなくて、かなり驚いてしまった。結局何も言い返せないまま一方的に言われるだけ言われてその日の会食は終了する。』

 

この時はなんてひどい事を言うのだろうと思っていたが、今から思い返せばこの発言は非常に的を得ていると思う。やはり20年間育てて来ただけあって母は私のことはなんでも分かっている。それにしても言い方はかなり強かったが。

 

『この後夫は家に帰ったが、私は次の日の通院のために実家に泊まることになっていたので、両親と一緒に実家に帰った。当たり前だが帰っても地獄だった。母の激昂は止まるところを知らない。実家でも、会食の時と同じようなことを繰り返し言っていたが、「あなたは嫌なことがあるとすぐ逃げる性格で、今まで色んなことから逃げて来たけど、子育ては逃げるわけにはいかないんだよ!」と言われた。』

 

この発言もズバリその通りだ。その通り過ぎてすごい。今までなんだかんだ理由を付けて誤魔化していただけだったが、私の人生はまさに逃げてばかりの人生だ。何かをやり遂げたことなんて一つもない。それを誰かのせいとか、何かのせいだと思い込む事で自分を正当化して生きて来たのだった。私はその事実にきちんと向き合う事なく、向き合おうともしなかった。出産して初めて、何で私は自分と、自分の人生ときちんと向き合う事なくここまで生きて来てしまったんだろうと絶望的な気持ちになった。もっときちんと自分と向き合って自分のこれからの人生について真剣に考えるべきだったと後悔した。記録はさらにこう続く。

 

『母は不安なことがあると眠れなくなってしまう性格なので、この日は3時くらいまで起きていた。私も眠れなくなってしまってそのくらいまで起きていたのだが、眠れない母は夜中に何度も私の部屋に来て、言いたいことだけ言ってまた寝室に帰ることを繰り返す。2人とももう絶望的な気持ちになって泣いていて、私にとっては人生で一番辛い夜だった。私は精神的に追い詰められてしまい、もうこのまま死んでしまいたいような気持ちになっていた。』

 

いやいや、んなわけあるかい!と当時の自分に全力で突っ込みたい。そして、出産してからの方がよっぽど死にたい気持ちになったし、数週間は死にたい以外の感情がほとんど無くなってしまったわ!と続けたい。私はあまり関係の良くない実家に里帰り出産したのだが、里帰り出産を終えて自宅に戻るまでは本当に死にたいという思いが常に頭の中にあったくらいだ。まあ今はこんなことが言えるくらいまでには回復し、死にたいとは全く思わなくなったが。むしろ今は息子を育てるために絶対に死ねないなあという気持ちだ。里帰り出産については決める時も帰る時も色々と揉めたので、これはまた別の機会に書こうと思う。

 

とまあ、ここまで書いたらお分かりいただけると思うが、育児の大変さというのは想像を絶する。想像を絶すると一言で言えてしまうと大変さが伝わらないほど想像を絶する大変さだ。私は妊娠中、出産や育児について書いた本や雑誌を割とたくさん読んでいたのだが、はっきり言ってあんなもの読んでも何も分からないと言っても過言ではない。本や雑誌を見て「大変だ」と思うのとその大変だと思ったことを実践するのでは天と地ほどの差がある。「寝る時間がない」と分かっていたとしても、実際に寝られない生活を送ることがどれほど辛いのかは分からない。それに大変なことは寝られない事だけではない。授乳も想像を遥かに超える大変さだ。しかもこの大変さは実際に出産して授乳してみないことには分からないのだ。ちなみに寝られないことの辛さや授乳の大変さは私が読んだ本にきっちり現実と同じように書かれていた。しかし、その大変さは実際に出産して育児してみないと分からないのだ。本当に恐ろしい、、、

 

私は出産した翌日に母子同室で息子と一晩過ごしたところ、夜ほとんど眠らず、早朝4時から3時間連続で泣き叫び続け、何をやっても泣き止んでくれない我が子を前に途方にくれ、疲れ果ててしまい、朝起き上がるのも苦しいくらいだった。息子がほとんど夜通し泣いていたので結局この日は1時間しか寝られなかった。この一晩で子どもを育てていくことの大変さを痛感した私だった。

 

大体、普通の精神状態の人でも産後は鬱になる人が多いのだから、精神に疾患を抱えている人が育児をしたら死にたいしか考えられなくなることなんて容易に想像出来る。幸せ過ぎて脳内お花畑だった私には想像出来なかったが、、、出産してから私はめちゃくちゃ脳内お花畑だったんだという事に気付き、その時の自分を呪いたくなった。現実はそう甘くない。精神に疾患を抱えている人には産まない方が良いとは言わないが、相当な覚悟が必要だと言いたい。大半の人は死にたいと思ってしまうのではないかと想像する。あくまで私のただの想像なので実際はそうでもないかもしれないが。

 

こういう事を書くとこれから子どもを産もうと考えている人や妊娠中の方に不安を与えてしまうかもしれない。私も実際に出産する前は同じような事を言ってくる人を鬱陶しく感じていた。そんなに脅して何がしたいんだよとさえ思っていた。しかし、今なら分かる。あれは私のことを思って言ってくれていたのだと。私のことを心配しているからこそ出た発言だったのだ。まあ、当時の私にはそんな事は分からなかったが、、、

 

結局何が書きたかったのかよく分からなくなってしまった。とりあえず、里帰り出産を終えて、今までうざったくしか思えなかった親はいつも私のことを思ってくれていたんだなあという事を痛感した。そして育児の大変さも。ここまで大変大変言っていると、私は息子のことを愛していないのではないかと思われそうだ。しかし、私は息子を心から愛しているし、育児は私なりに一生懸命やっているし、何より息子はとてつもなく可愛い。現在2ヶ月くらいだが、最近、泣いている時に私が近寄るとそれだけで泣き止んで、これ見よがしに「あうー」や「うー」や「あぐー」などの喃語を連発しながらこっちを見て笑うようになった。夫にはやらないので、やっと私がママであることを認識出来るようになったみたいだ。通常でも可愛いのだが、笑うとそれはそれは可愛くてしょうがない。ネットでこっちを見て笑いかけてくる息子が可愛すぎて宇宙まで飛んでいってしまいそうだと言っている人を見かけたが、本当にその通りだと思う。他の赤ちゃんも可愛いが、やはり自分の子は格別だ。今はそう思えるくらいまでに精神が回復した。その為に尽力してくれた夫には本当に感謝している。ここまで来るまでに本当に色々な事があったので、また時間があれば出産の時のことと、その後の育児についても書きたいなあと思っている。