安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

私が経験した陣痛の痛みと里帰り出産を通じて痛感した母の愛

だいぶ時間が経ってしまったが、私の出産について書いておこうと思う。

 

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予定日を6日過ぎた11月某日の11時ごろ

おしるしがあってとりあえず病院に電話するも、「陣痛も来てないようですし、これからまだまだ長いんで来なくていいですよ」と一蹴される。

13時ごろ

10分間隔くらいの陣痛が始まる。初めての出産で何もわからず不安なので、また病院に電話するも、また来なくていいと一蹴される。「さっきも電話してきましたよね?」と嫌味を言われ、大袈裟な人間だと思われる。

16時ごろ

陣痛がちょうど10分間隔になる。またも病院に電話。この時電話に出てくれた助産師さんは優しい人で、「まだ時間はかかると思いますし、一回家に帰ることになるかもしれませんが、心配なら来てもいいですよ」と言ってくれた。実家だったので、母親が「病院に行く前にお風呂に入ってご飯を食べた方が良い」と言い、お風呂を洗って、急ごしらえで夜ご飯を作ってくれた。シャワーを浴び、夜ご飯を食べ、病院に行く準備は満タンだった。出かけていた弟と兄も家に帰って来てご飯を食べていた。

19時ごろ

陣痛が10分間隔のままだったが、病院に電話。するとこの時に電話に出た助産師は「まだまだ出産まで時間がかかるから家にいた方がいいですよ」と言う。母親にいつになったら病院に行って良いのか聞けと言われたので聞いてみると、「5分間隔になったら来てください」と言われた。普通は10分間隔になったら病院に行くことになっているので、この病院は少しおかしかったのかもしれない。家にいろと言われたので、不満ながらもそうすることにして、お風呂が沸いたので湯船に浸かることにした。出産後は1ヶ月湯船につかれないので、これが終わったら1ヶ月後か…と思いながら浸かった。陣痛は痛みと痛みの間に間隔があり、その間は全く痛くない。それなので、痛みと痛みの間の10分で体を洗った後に一度痛みが来て、それがおさまってから湯船に入った。ちなみに痛みが来ると、ひたすら耐えるしかない。ただし、1回大体20秒から1分で終わる。痛みは、そんなに猛烈に痛い感じではなかった。グーっとお腹が痛くなって、それが少しの間続くという感じだった。

22時ごろになっても陣痛は10分間隔のままだった。両親は病院に電話して病院に行った方が良いと言っていたが、病院の対応があまりにも素っ気なくて、電話をかけるのが苦痛だったので、私はそうする気が起きなかった。家族も夜ご飯やお風呂を終え、母親は「まなちゃんが病院に行かないなら寝ようかな」と言っていた。父親が寝るのがいつも1時くらいなので、そこまで任せるといった感じだった。母親は夜通しの出産になることを見越して、少しでも寝ようとしていたのだと思う。とは言ってもやはりなかなか眠れなかったみたいで、30分から1時間おきに起きては逐一私の状況を確認していた。23時半ごろになってやっと5分間隔の時もちらほら出てきた。しかし、5分間隔の時もあれば12分も間隔が開くこともあって、電話するかどうかの判断に悩んだ。この時間から、起きていた父親に執拗に「電話して病院に行け」と言われる。多分心配してのことだろうと思うが。私は「まだそこまで痛くないし、間隔も10分以上開くこともあるから耐える」と答えて電話しなかった。父親は22時くらいからずっと「電話しろ」しか言わないのだった。父親は頑固な私に流石に呆れた様子で24時頃お風呂に入った。30分してお風呂から上がっても「もういいから、お前は早く電話して病院に行け」しか言わなかった。

日付が変わって午前1時前、5分間隔が増えてきたのと、少し痛みが強くなった感じがしていて、それを父親に話し、「でも全部5分間隔じゃないからまた助産師に家にいろって言われるかもしれない」と言うと、父親に「そんなのもう全部5分間隔になりましたって言えばいいんだよ。もうそろそろ病院にいかないと本当にヤバイぞ。」と言われた。流石の私も病院に電話することを決め、父親に言われた通り「全部5分間隔になりました」と言うと、あっさり「それでは、病院に来てください」と言われた。父親が母親を起こし、私と母親は準備をして、父親がタクシーを捕まえに行った。しかし、もう午前1時だったので、あまり車の通りがなくてタクシーがなかなか捕まらなかった。それでも、わざわざ少し家から離れた交通量の多い大通りまで行って10分くらいで捕まえてきてくれて、実家の前まで来てもらい、両親と私で病院に向かった。病院の夜間入り口は表通りから少し入ったところにあったので、表通りで車を降りて歩いて病院に向かう。歩いている途中で3回くらい陣痛が来て、その度に立ち止まった。痛みが襲ってくると歩くこともできない。やっとの思いで病院の産婦人科に到着した。

薄暗く、狭い分娩室に入って分娩台を見たときに「あー、本当にこれから産むんだなあ。痛いのかなあ。そりゃ痛いだろうな。ここに何時間いるのかな。母親学級では初産だとここから10時間かかるって聞いたな。マジで?ここで10時間?長すぎない?まだあんまり痛くないし間隔空いてるけど、元々体力ないから体力持つかな?あれ、予想してたのと違う。ていうか、予想って何?何も予想してなかったわ、ヤバい」と思った。

分娩室の中には両親は入れてもらえず、私だけ入った。入るとすぐ助産師に「とりあえずこれに着替えてください」と言われたので、それに着替えた。その後はどうすれば良いか分からず、その場に突っ立って助産師が来るのを待っていた。着替えてください以外の指示がなくて困った。とりあえず水分補給しとかないとと思って持ってきたポカリスエットをペットボトルの半分くらい飲んだ。しばらくすると助産師が来て、分娩台に上がって仰向けで寝てくださいと言われたので、従う。NSTのベルトと点滴を付けてもらい、脈を測る機械を指に嵌める。その状態でなぜか助産師からの質問責めが始まる。「ご家族の名前と年齢は?同居ですか?その中に先天性の疾患がある人はいませんか?」などなど。「なんで今聞くんだよ。検診の時聞いとけよ」と思いながら全て丁寧に答える。答えてる最中に陣痛が来て「ウッ」っとなって答えられなくなると、「痛いですよね。(回答は)陣痛終わったらで大丈夫ですよ」と笑顔で言われる。いや、明らかになんかおかしいだろと思った。

そのあと内診をしてもらう。子宮口はもう4㎝まで開いていた。病院まで歩く間に何回も陣痛がきたこともあり、もっと病院に来るのが遅れてたらここまでたどり着けなかったかもしれないと感じた。危なかった。

助産師から、とりあえずここで様子を見て、安定してたら陣痛室に行ってお産が進むのを待ってまた分娩室に戻って出産することになると言われる。「何時ごろになりますか?」と聞くと、「このまま順調に行けば朝には産まれますね」と言われる。「長くても朝までか」とホッとした。

ところで、分娩室に入ってからずっと隣の分娩室から「痛い痛い痛い痛い!!死んじゃう〜!ヤバいヤバいヤバい!もう産まれちゃうー!死ぬ〜!もう助けてー!たーすーけーてぇー!」って絶叫が聞こえてくる。なんとかしてくれ。マジでうるさいしこれから死ぬほど痛くなるんじゃないかと不安になるんだが。早く隣の人の出産終わってくれ。もう担当助産師も受け答えテキトーになってんじゃん。あー、もうとにかくうるさい。

助産師の質問責めが終わると、一緒について来てくれた私の母親が分娩室に戻ってくる。父親は次の日の9時から仕事があったので、この時に帰った。御年64歳の父親、帰っても5時間も寝れないじゃん…大丈夫か…と勝手に心配していた。母親は部屋に入ってくるなり「隣の人?めっちゃうるさいね。どうにかなんないのかしら。あんなに痛くないから大丈夫だからね。隣の人は気が動転しちゃってるだけだと思うから」と言われる。やっぱそれ気になってしょうがないよね。もう本当に早く産まれてくれないかな。と思いながら母親と話をする。陣痛はまあまあ痛かったけど、陣痛と陣痛の間は全く痛くないので、陣痛が来てる時以外は母親とずっと何かを話していた。母親も3人出産していてその辺は熟知しているので、痛みがある間は静かにしていてくれて、痛みが引いて私がまた話し出すとそれに合わせて話をしてくれた。話していると気が紛れて良かった。

母親が部屋に戻ってきて落ち着いてから私の夫に電話した。後から夫に言われたのだが、いくらなんて連絡が遅すぎる。13時から陣痛が始まり、何度も病院に電話して1時30分には病院に着いたのに、その間何も夫に連絡してなかった。私の母親は「娘の出産って感じだから私の夫の事はどうでも良い」と里帰り中ずっと話していて、この時夫に連絡するのも渋々だった。しかも電話したのが夜中の2時半だったので、まさか夫が起きているとは思ってなかったみたいで、「なんか起きてたよ。随分夜遅くまで起きてるんだね、あの人」とか言っていた。母親にとっては私の夫が息子の誕生の瞬間に間に合わなくても本当にどうでも良かったらしい。私はもともと立ち会いは望んでいなかったし、私も私で夫が誕生の瞬間にいなくても別に良いだろうと思っていた。私が出産するのに、夫が立ち会ったからといって楽になるわけでもないと分かっていたし、苦しんでいる姿を見られたくなかったので、立ち会いは希望せず、夫もそれに納得していたので、立ち会わないなら産まれる瞬間に病院にいてもいなくても大して変わらないだろうと思っていた。夫はそんな事なかったみたいだが。夜中だったので電車がなく、車で飛ばしてくるとのことで、到着まで2時間かかるとのことだった。

病院に着いてから、段々と陣痛の間隔が短くなってきた。陣痛はそれほど痛いという感じではないのだが、5分後にまた痛みが来て30秒から1分ほど続くことが辛くなってきた。この頃には規則的に陣痛が来るようになってから12時間も経過していたのだ。2時半ごろに助産師が内診に来る。もう子宮口は7㎝開いてるとのことで、進みが随分早く、このままだと2時間後には産まれると言われた。思わず助産師に「本当ですか!?」と聞いてしまうほど嬉しかった。そんなことを言うほどの余裕がまだあった。助産師も「パパ(私の夫)、間に合うかしらね」と言っていた。よく覚えてないけどこのへんで隣の部屋の赤ちゃんが産まれた気がする。少し静かになってよかったよかった。

ただ、ここからが結構大変だった。3時ごろから陣痛の時に痛みを感じるのではなく、いきみたくなっていまう状態になってしまった。この頃には子宮口は全開になったのだが、息子が全然下に降りていないという私には全く訳のわからない事態に陥った。普通は赤ちゃんが下に降りてくると同時に段々子宮口が開いていくものだと思うのだが…そして普通は子宮口が全開になったらあとはいきんで赤ちゃんを出すだけなのだが、私は息子が下に降りてきてないからいきんではダメだと言われる。

なんとかしていきまないようにしようとして、最初の方はあまりいきまないでいられたのだが、段々と波が大きくなってしまって、どうしてもいきんでしまうようになった。様子を見に来た助産師に「どうしてもいきんじゃうんです…」と言ったら、「じゃあいきんでもいいから呼吸をちゃんとして」と言われた。そんな私の状態を見た助産師がいきみ逃しをやってくれた。しかし、助産師も忙しいらしく、ずっとやっているわけにはいかない。夫もまだ到着していない状態で、部屋に私の母親しかいなかったので、あろうことか私の母親にそれを頼んだ。母親も言われたらやるしかなくてやってくれたが、私は母親にそんなことして欲しくなかった。これは完全に私の気持ちなのだが、親族には誰にも立ち会ってもらわず、誰の手も借りずに出産したかったのだ。苦しんでいるところを見られるのが嫌という気持ちもあるが、出産を親族の誰かに見られるのがなんとなく嫌だったし、出産は誰かに見せるようなものでもないと私は思っていた。母親も出産に立ち会うことの意味がよくわからないという感じで、立ち会いはしないと決めていたので、本当だったらこの時にはもう部屋を出ていなければならなかったのだが、お産の進みが早すぎて完全に部屋を出るタイミングを失っていた。だからといって、もう「母親に部屋から出て行って欲しいです」と言う余裕も私にはもうなかった。そしていきみ逃しをやっても大した効果はなかった。

私はいきむ時に呼吸を止めてしまうらしく、そうすることで母体に酸素がいかなくなり、胎児の呼吸もかなり苦しくなると言われた。そんなことは言われないでも分かっていた。なぜなら、私がいきむとNSTから「ゴオオオ」とすごい音がなるからだ。NSTは胎児の心臓の音を聞く機械のようで、普通は「ドッドッドッドッ」と規則正しい呼吸音がするのだが、私がいきむと途端に「ゴオオオオオオ」というすごい音になってしまう。私自身も苦しかったが、その音を聞くのがとてつもなく辛かった。ついに私は酸素マスクをつけられる。少しでも酸素が私の体に行くように。私は人生で初めて酸素マスクをつけた。

酸素マスクを装着された頃、助産師が何回も別の場所にいる医者に向かって「赤ちゃん全然降りてこないですし、お母さんも苦しそうなので手術で引っ張り出そうと思うのですが、来てくださいませんか」と言っていたのだが、医者は「本当にもうダメそうなの?」「どういう状況?」と聞き返していて、なかなか来てくれなかった。そういえば私は病院に着いてから医者に一度も会っていなかった。全て助産師だけでここまでやったのだ。これは普通のことなのだろうか?私にはよく分からない。

4時ごろ、夫が病院に到着する。到着してすぐに分娩室に入ってきたが、酸素マスクをつけてかなり苦しそうな私を見てかなり引いていた。もうドン引きもいいところだった。もともと立ち会いはしないと決めていたので、もうそろそろ産まれそうということを聞いた夫は「僕外にいていいですか?」と言ってすぐに部屋を出て行った。ここでやっと母親も部屋を出ていくことができた。

そのあとすぐに手術をするために医者が颯爽と現れる。部屋にに入ってきて、すぐに手術を始めようとする医者に、助産師が焦って「ご家族の立ち会いは?立ち会いするか聞かないと」と言ったのだが、医者は「無理無理無理無理。そんなの無理。早く産ませないと。そんなのどうでも良いから」と一蹴していた。まあそれでよかったのだが。この緊迫した状況でも医者にそれを聞くってことは、立ち会いさせないとよっぽどキレる人間がいるんだろうなと思った。さらに医者は「助産師は?え、2人しかいないの?!3人欲しいんだけどな…無理?じゃあしょうがないか…」と私に思いっきり聞こえるように言っていた。

結局助産師が2人しかいないまま手術が始まり、息子は下の方に引っ張られた。そして人工的な破水をしたあと助産師に「思いっきりいきんでください!」と言われたので、「よっしゃあ!やっとこの時が来た!!」と思って思い切りいきむと、「上手上手!はい、もう一回いきんで!」と言われてのでタイミングを合わせていきむと「ウゥ…」という呻き声が漏れた。助産師さんがすかさず「痛いよねえ…!あともう少し!頑張れ!」「もう一回いきんで!」と言うのでもう一回いきむと、めでたく息子が誕生した。時刻は4時34分、私自身は一度も叫ばないほとんど無言の出産だった。多分こんなに静かに出産する人はかなり珍しいのではないかと思う。

「おめでとうございます!」と言われて息子が私の隣に運ばれてきて、息子を初めて息子の顔を見た瞬間に涙がこぼれた。何を思ったとかではなく、気がついたら自然と泣いていた。それを見た医者が虚をつかれたような顔をしていたのをよく覚えている。

そのあとすぐに息子は身長や体重を測定したり検査をするために連れて行かれてしまった。息子も母親も夫もいないまま会陰縫合をした。「なんで産んだ本人が息子に会えないんだよ…おかしいだろ…」と思っていた。何もすることがないのでずっと時計を見ていたのだが、一向に終わらず、結局40分も麻酔なしでずっと縫合していた。これは結構痛かった。医者には「引っ張り出したけど、私が来た時にはもう結構降りてきてたからほとんで自分で産んだようなもんだよ」とか、「次も下から産めるからね」という謎の慰めを受けた。(医者は中年の男性)そして、長きにわたる手術を終えた医者はまた次の手術へ向かって行った…

会陰縫合が終わると夫も母親も息子も部屋に来て、2時間安静にするように言われた。「出産ってなかなか終わらないものなんだな…」と思っていたらちょうど日が昇って来て朝になった。母親が大きなあくびをしながら「私徹夜したの人生で初めてだな」と言って笑った。私は「母は強しとはこのことだな」と思った。

ちなみに隣の部屋で絶叫していた女性は、金髪のヤンキーで、夫も柄の悪いヤンキーといった感じの見た目だった。しかも2人目の出産だった。2人目でもあんなに余裕のないものなのか……と思った。入院中に私と一緒に受講する予定だった沐浴指導の時間には5分遅れたため、助産師が部屋まで呼びにいったのだが、部屋に来たのはさらにその10分後で、「完全に忘れてた(笑)」と悪びれることなく言い放った。1人育てていて余裕なのか、毎朝バッチリ化粧をしており、いろんな意味で「すげえな、こいつ」と思ったが悪い人ではなさそうだった。

 

おもしろおかしく書いてしまったが、私は陣痛自体はあまり痛くなかった。 叫んでしまうとか取り乱すとかそういうことはなかった。テレビドラマなどでよく見るあんな壮絶なものでは決してなかった。私は痛みというより、いきみたくなってしまう感じになってからが結構辛かった。呼吸もいきみ逃しも上手に出来なくて苦しかったし、息子の苦しそうな呼吸音を聞くのも辛かった。最後の方で医者が到着してからは、意識が朦朧としていたのか、もう何がなんだか分からなくて、ただ医者と助産師が何やら慌ただしくガチャガチャやっているのだけが分かった。もう痛みも何も感じなかった。医者が行った処置については、出産後はしばらく忘れていて、知人に出産の時のことを話した時に「そういえば」と思って色々思い出したのだった。病院に着いてからは3時間で産まれたし、産婦人科の主任の先生にも「スムーズなお産でよかったですね」と言われたので、結構安産だったのだろうと思う。それなのに、出産した直後は「もう一生こんな思いしたくない」と思った。安産でも苦しいものは苦しいのだ。

 

退院して、実家にいる時に母親に「苦しそうなまなちゃんを見てるのがすごく辛くて、もう最後の方は見てられなかったよ」と涙ながらに言われた。その時は「そんな大袈裟なものかな?結構安産だったじゃん」と思ったのだが、母親になった今はその母親の気持ちが少しわかる。私も息子にはあんな苦しい思いさせたくないなと思うようになったのだ。息子は男の子なので出産はしないけど、この先もしかしたら娘ができるかもしれないことを考えて、娘にはあんな苦しい思いして欲しくないなと思った。もし娘ができたら将来その娘が出産するかもしれないと思うと、娘は欲しくないなとまで思ったこともある(笑)母親になると自分も母親の気持ちというものがが少しづつ分かるようになるみたいだ。出産を経験して、母親が私のことを思いやってくれる気持ちは痛いほど分かるようになったのだが、だからと言って母親が苦手なことに変わりはなくて、親子って本当に難しいなと感じる。私も息子に嫌われるかもしれないけど、その時はあまり干渉せずそっとしておこうと思う。

 

里帰り出産を通じて、私は母親の愛を痛いほど感じた。私もそれくらい息子を愛せるといいな。そして私の母親のように愛の与え方と方向が間違えないように気をつけていこう。