安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

母親のことなど

今日は東京に行った。私の両親と夫と私で月に1度、食事をして近況を報告する日だからだ。夫が東京に行く用事があったので、一緒に車で行った。着いて、まず、大学に行って名前や住所の変更手続きをした。戸籍抄本が必要だったりと様々な理由でまだ出来ていなかったからだ。今日出来て良かった。両親と会うまでに時間があったので、しょぼい喫茶店に行った。東京に行く時は必ず行くほど大好きなお店だ。最近は2週間に1回くらい行っている。しょぼい喫茶店に着くと、常連のお客さんが1人いらっしゃった。常連さんとえもいてんちょうさんと3人で本当に色々な話をした。高校の事や、家族の事、結婚の話などなど…

1番心に残った話は、母親のことだ。私の母親は猛烈な過干渉で、私の人生に一々口出ししてくるし、自分の思う人生を歩まないと気が済まない人だ。ずっと一緒に暮らしていたのに、私の気持ちなんて全く理解していないし、何かにつけ私のことを否定する。肯定された覚えはほとんどない。母親のひどいエピソードは、夫と話している時などに、ふと出て来たりするのだが、まだ冷静に振り返ったり、分析する事が出来ないという話をしていた。すると、常連のお客さんが、「まなさんは今、まだ問題の渦中だから見えていないだけで、2、3年後にそれが過去になって振り返ると冷静に見る事が出来るのではないか。」とおっしゃっていて、なるほどと思った。それと、「今はブログに色々なその時々の思いを書き残すと良いのではないか。」とおっしゃっていたので、ブログをまた書いてみることにした。自分の過去の事は結構書いたけど、母親の事はまだあまり書いてなかった気がする。(過去の記事を読み返したわけではないので正確には分からない笑)

最近、夫と話していて、母親がヤバイなと思ったエピソードは、母親が私を自分と同じ中学、高校、大学に入学させようとしていた事だ。当時は何も思わなかったけど、今考えてみると、これはかなりヤバい。母親は中高一貫校の女子校に高校から通っていた。そこは大学附属のような所で、特に問題がなければ、附属の大学に入学する事が出来る高校だった。高校の成績の良い子から学部学科を選ぶ事が出来る。その高校がまだ中高一貫校でその当時は残っていた。私は中学受験をしたのだけれど(自分の意思ではなく)、途中で精神を病んでしまい、まともに勉強が出来なくなってしまった。そこで、母親が自分の母校の中高一貫校に入学すれば、大学まで受験なしで行けて良いのではないかと言い出したのだ。その学校は母親が入っていた時のレベルは結構高かったのだが、少子化や女子校の人気の低迷でかなり偏差値が落ちていた。母親が居た頃は中々良い先生と同級生達に恵まれていたみたいだった。結局、母親のゴリ押しもあり、その中学校に入る事になってしまった。

しかし、その中学校は、私が入学した頃にはもうレベルが相当落ちていて、私立でみんな受験して来たにも関わらず、恐ろしくレベルが低い学校だった。先生方は熱心なのだが、生徒がとにかくひどい。私はそこでかなり嫌がらせを受けたし、こんなに性格が悪い人間が居るのかと思うほど性格がねじ曲がった何人もの女子と出会う事になった。まあ中学校は、大体嫌がらせとかあるし、みんな思春期真っ只中でドロドロしているとは思うのだが…

その中でも、成績の良い、気が合う数人の友達となんとかやり過ごしていたのだが、その子達もやはりその中学校が嫌で、高校受験をすると言い出した。中学3年になってから。私はその友達たちと特進クラスに一緒に行って、仲良くするつもりでいたのでかなり焦った。その子達が居なくなってしまったら、友達もいないし、楽しい事が何もない。そして私は中学3年生の夏、高校受験をする事に決めた。

精神を病んでしまって途中でまともな中学受験をする事が出来なくなった私も悪いのだが、そうなったのならもう諦めて公立の中学校に入れてくれた方がまだマシだったのではないかなあと最近は思う。まあ過去の事なのでしょうがない。

そんな感じで、母親はなんでも自分の思う通りに私の人生を決めたかったのだなあと思った。(本人は私の為を思ってやっているのだし、そう思う人も居るのかな…?)これからも、思い出したら母親のヤバいエピソードを書いていこうかなあと思う。あと日記的なことと、過去の振り返りと…(書くこと多いなあ)

そういえば、今日、両親と夫と私で食事した時も、「あなたはおかしいからね。」と3回くらい言われたなあ…