安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

しょぼい喫茶店と私の話

昔から学校にまともに通えた事がほとんどなかった。それでもなんとかストレートで大学にまで入学した私、しかし、大学に通えなくなってしまい、人生に絶望した私は何の巡り合わせか東京の片隅にある「しょぼい喫茶店」の扉を叩いていた…


あの頃、私は人生に絶望していた。高校を中退してしまい、でもなんとか普通のレールに乗ろうと通信制の高校に入学した。そこで高校卒業の資格を得ることが出来、なんとか大学に入学する事が出来た。入学式、ここを卒業しさえすれば、まともな社会のレールに乗れる。ここで何とか頑張って卒業して就職しようそんな決意を新たにしていた。


しかし、1ヶ月で通う事が出来なくなってしまった。ゴールデンウィーク明けの登校日、私は朝起きて普通に電車に乗った。乗り換えの駅に着いた。降りなければ。でも、なぜか身体が動かない。行きたくないという気持ちが心と頭を支配している。でも降りなければ。こんなところで私の人生を終わらせるわけにはいかないのだ。ここで頑張って社会のレールに乗らなければ。大学は私に残された最後の希望なのに… 行かなければいけないことは理性では完璧に理解していた。通わなければどうなってしまうのか分かっていてとても怖かった。何としても行かなければ。ずっと心の中で葛藤したけど、結局その日大学に辿り着くことは出来なかった。まあ1日だけだろう。明日になれば行けるはずだ。そう思っていた。しかし、私は結局その後の1週間、この日と全く同じ事を繰り返してしまった。

 
人生が終わったと思った。もう死のうかとも思った。でもまだ18歳、ここで人生を諦めらる決断は私にはどうしても出来なかった。とりあえず大学のカウンセリングセンターに通うことにした。そこでカウンセリングを受ける中で、ADHDではないかと言われた。どんなにカウンセリングに通っても状況は改善されなかったこともあり、とりあえずテストを受けることになった。


結果、ADHDとの診断を受けた。とりあえず治療を開始した。ADHDは生まれつきの脳の障害なので、治るということはないのだけれど、改善されることはあるということだったので、頑張って治療に励んだ。

 
それから1年、だいぶ症状が改善した私は、同じようなADHDの人達と交流してみたいという気持ちが起こるようになっていた。とりあえずADHDの人達が集まる女子会に行ってみた。そこで知り合った方のSNSでしょぼい喫茶店の存在を知った。

 
その頃には、私は大学を辞め、通信制の大学に通う決断をしていた。大学を卒業して資格を取得すれば働く事もできる。高校も通信制だったし、興味がある分野でもあったので、なんとか頑張ろうと思っていた。

 
しかし、ここもダメだった。私は昔からレポートを書くのが絶望的に出来ないのだ。「適当に書けば良いじゃん、なんとなくでいけるよ」とよく言われるのだが、私は絶望的に適当が出来ない。完璧主義で、0か100しか存在しないので、自分の中で100にならないとどうしても提出する事が出来ない。大学のレポートなんて100点満点の答えはないわけなので、上手く行くはずがない。

 
ここが本当の絶望だったのだと思う。もう私は普通に社会のレールに乗って生きるということが出来ないのだなという絶対的な諦めを感じた。もうダメだ。生きていけない。やっぱり死のうかな。しかし、やはりどうしても死ぬ決断が出来なかった。今になっては死ななくて良かったと思うけど、この時はこんなにダメなのに死ぬ決断すら出来ないなんて本当にただのクズだな、自分本当に死ねば良いのにという気持ちだった。

 
私はどこかに救いを求めることを辞められなかった。私が初めてしょぼい喫茶店を訪れたのは、そんな時だった。

 
初めて訪れたしょぼい喫茶店は、とても居心地が良かった。普段いる忙しない世界とは全く違う、ゆるやかで穏やかな空気に満ち溢れていた。そこで池田さん、おりんさん、たまたま来店していたお客様に人生相談のようなことをした。今から思えば、飲食店でそんな事をするのは甚だおかしい事なのだが、人生に切羽詰まりすぎていたのだと思う。でも、池田さん、おりんさんはちゃんと私の話を聞いてくださった。人生について赤裸々に話す事が出来る人が周りにいなかった私にとっては、それだけでもかなり救われた。


この日ですっかりしょぼい喫茶店のファンになってしまった私は、1週間後、またしょぼい喫茶店を訪れていた。驚いた事に、池田さんは私のことを覚えてくださっていて、更に驚いた事に私が話した内容まで覚えてくださっていた。私はもうそれだけで感動してしまっていた。


実はこの時、自分で生きていけないなら私は結婚して養って貰えば良いのではないかという考えを持っていて、周囲の人によく結婚したいと言っていた。もともと結婚はしたかったし、するなら若い方がまだ貰い手がいるのではないかと考えていた。私のような欠陥品を貰ってくれる人がいるとはあんまり考えられなかったけど…でも今から結婚相手を探す事は別に悪い事ではないと思った。頑張って生きている人からすれば、なんて安直でバカなんだと思われると思うけど、人生が八方塞がりで取り敢えず生きていくことだけを考えていた私は結構真剣だった。


そんな話をしている折、池田さんに今の夫を勧められた。「○○さん良いと思いますよ。ここの常連さんなんですけど、いつもニコニコしてて優しくてとても良い人なんですよ」と言われた。

 
それが去年の5月初旬、私はまだ夫と会ったことすらもなかった。


しかし、夫との出会いは案外早く訪れる事となった。最初に出会ったのは5月終わり、都内のバーでたまたま会う事が出来た。そして次の日もしょぼい喫茶店でたまたま鉢合わせした。といっても、2人ともしょぼい喫茶店の常連だったので、そこで出会うことは必然だったとも言える。

 
その後は色々な事があったけど、結局7月の終わりに結婚する運びとなった。5月の終わりに出会ってからわずか2ヶ月。結婚の報告はもちろん池田さんとおりんさんのお二人に一番最初にさせていただいた。


今でもお二人が居なかったら結婚する事は無かったのではないかなと考えることがある。結婚を決めたのは私達だけれど、最初のきっかけを作ってくださったのは間違いなく池田さんとおりんさんのお二人だ。

 
また、もし、しょぼい喫茶店に出会っていなかったらと今も思う。出会っていなかったら、私はまだ絶望で真っ暗な人生を歩んでいたのではないかと。

 
池田さん、おりんさんは私を救おうという気持ちは無かったのだろうと思う。どんなに頑張っても人が人を救う事は出来ない。ただ、あまりにも人生に行き詰まっている私に少しのきっかけをくださった。結果的にそのきっかけが私の人生を大きく変える事となったのだが。私はお二人としょぼい喫茶店という場所に勝手に救われたのだと思う。

 
池田さんがここに来て、人生で苦しいこと、辛いことを話して共有しても、一歩外に出ればまた辛い現実が待っているかもしれない。だから私達は辛い人を救ってあげる事は出来ないとおっしゃっていた。確かにその通りだと思う。どんなに辛い思いを共有したって、それで辛い現実が変わるわけではない。一歩外に出れば辛い現実が待っている。それでも、辛いことを共有して、それでもみんな頑張って生きているということを感じることで、私も後もう少しだけ頑張ってみようと思えるのだと思う。今ここからまた一歩踏み出そうと思えるのだと思う。人生がどうしようもなく辛くなってしまった時、しょぼい喫茶店に行き、そこで色々な方と話したり、ゆったりとした時間を過ごすことで、もうちょっと頑張ってみよう、生きてみようと思える。しょぼい喫茶店とはそういう場所なのだと思う。

 

これは私の人生の話で、しょぼい喫茶店に行けば皆さん救われますよという話ではない。ただ、本当にたまたま、私はしょぼい喫茶店と池田さん、おりんさんによって勝手に救われたという話だ。

 

人生は本当にままならなくて辛いことばかりだけれど、辛い時に行けば、また頑張ろうと思える場所がある、それだけですごく幸せなことなのだなと思う。

 

最後に今の私を作ってくださった、私の大好きな場所であるしょぼい喫茶店の店主、池田さんとおりんさんが書いた『しょぼい喫茶店の本』が4月10日に百万年書房さんより発売されます。

しょぼい喫茶店の本

しょぼい喫茶店の本

 

この本が、そしてしょぼい喫茶店が、また誰かの背中を少しだけ押すことになってくれればと願わずにはいられません。

 

少しでも気になった方は、ぜひ本をお手にとっていたただき、願わくばしょぼい喫茶店に実際に足を運んでいただければと思っています。

 

1人でも多くの人にこの本が届きますように。