安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

母親について思うこと

この間、といっても2週間くらい前、母親とあることで徹底的に対立してしまった。その時はかなり責められて、しかも通院のため実家に1泊したため、その間ずーっと責められているような状態となり、かなり精神的にキてしまった。母親はストレスがあるとすぐに寝られなくなってしまうため、2人とも夜中の3時まで言い合ったり、絶望的な気持ちになったり、泣いたりしていて、間違いなく人生で1番辛い夜だったと思う。こんなことになるために私は生まれた訳でも、母親は私を産んだ訳でもないのになあと考えてしまって、どうしようもなく心が辛かった。

通院が終わって逃げるように家に帰ったのだが、極限状態の精神状態の中、その道中で電車の乗り換えが上手く行かなかったこともあり、ホームに入ってくる電車を見てこのまま身を投げてしまおうかと本気で思った。ホームに電車が入ってくる時、何も感じずにプラットホームにいられるのは幸せなことなんだなとか思った。

家に帰って、夫に色々話している中で、やはり私の母親は少しおかしいという話になって(そんなことは分かっているはずなのになぜか実家に帰ると母親に母親が正しいのだと思い込まされてしまう)、夫に「まなさんの母親はまなさんを使って自分の人生を肯定しようとしているだけなんだよ。まなさんのためとか言って私の幸せのことなんて考えていない気がする」と言われた。それを聞いて、実家から帰ってきて間も無く、母親からの洗脳が完全に溶けておらず、精神が極限状態だった私は夫に向かって、「そんなの分かってるよ!!でも、私を産んで20年間育ててくれた母親をそんなひどい人だったなんて思いたくないじゃん!!!」と泣き叫んでいた。

後から思い返すと、極限状態で出たこの発言こそが私の本当の正直な気持ちだったんだろうなと思う。母親が少し間違っていることなんてもうとっくに気付いていた。私を基本的には否定してくるし、やりたいことを言っても、「どうせ失敗するからやめなさい」と言って挑戦すらさせてくれない、自分の歩んで欲しい人生を押し付けて実家に縛りつけようとするなどなどの行為を長期に渡って私にしていた。実際に暴力を受けたことはなかったけど、言葉の暴力だったり、精神的に追い詰めるというようなことは常にされていた。母親はどう考えても私の幸せを妨害する存在だったことは明らかだ。

でも、それでも、私は母親のことを心底嫌いになって、否定したり軽蔑することはどうしても出来ない。だって母親だから。理由は「母親だから」ただそれだけだ。

世の中の毒親に悩む子ども達が、もし、母親のことを心の底から嫌いになって憎い存在だと思たら、この世には「毒親問題」なんてものは存在しなくなるのだと思う。親子の関係というのはそれほどまでに深刻なものなのだ。

だから、私は母親と少し距離を置くことにした。会うと2人ともどうしようもなく辛くなってしまう。母親は今もずっと気を揉んでいるのだろうけど、会わなければそのことを私が心に病むこともない。少し冷たいと思われるかもしれないけど、母親は私が母親が思う人生から外れるたびに気を揉んでしまうので、それはもう私にはどうしようもない。 私には母親の望む人生を生きることは到底出来ないし、出来たとしても私が幸せになれないからだ。

いくら産んで育ててくれたとはいえ、親と子の人生は別々のものだ。そのことを理解した上で、自分の人生を一番に考えられるようになったら、それが自立の第一歩なのではないかなと思う。もちろん親のために生きたっていいし、生きなくたっていい。産んで育ててくれたからといって、その恩でずっと親のために生きる必要はどこにもない。今までありがとうという気持ちで、新たな場所に巣立っていけば良いのだ。今はそう思える。私はこれからも自分の思うようにずっと幸せに生きていきたいなあと思っている。