人生の振り返り4 〜中学校が今でも嫌いだ〜

中学の時のことは辛いのであまり思い出したくないのだが、話が繋がらなくなるので書こうと思う。

中学に入学した時は一番精神状態がヤバかったと思う。人間関係など色々なストレスでまた強迫行動が始まってしまった。今度の強迫行動は、「建設中のスカイツリーを見続ける」というものだった。実家の階段の踊り場からスカイツリーが見えたのだが、私が中学に入学する頃、ちょうど建設の真っ最中だった。あの時のスカイツリーは本当に凄くて、毎日少しずつスカイツリーが出来ていっていた。つまり、1日1日で形がどんどん変わっていくということだ。この状態が強迫観念に拍車をかけたみたいで、「このスカイツリーの状態は今日じゃなきゃ見られないんだぞ」と脳が話しかけて来て、見るのをどうしても辞められなかった。それに私は昔から夕方に精神が不安定になる特徴があって、特に夕方に症状がひどく現れた。朝と昼は明るく、夜は暗いだけなので、1日1回外に出てスカイツリーを見れば気が済むのだが、夕方は刻一刻と日が沈んでいって、その度に光の反射などで情景が変わる。それがとても気がかりで、日が陰り始めてから完全に日が沈むまで踊り場を離れる事が出来ず、ずっと泣きながらスカイツリーを見ていた。正直、何を言ってるから分からない方も多いと思う笑。でも、この時の私の状態はそんな感じだった。

 そんな精神状態だったので、学校でも少し言動がおかしな部分があったのだと思う。それと、大人しいのに1番最初の中間試験で学年1位を取ってしまったことから、私への嫌がらせが始まった。最初は、私が仲良くしたいと思っていた女の子を自分達のグループに引き込み、徹底的にその子と離すという嫌がらせだった。それで私が少し落ち込んだのが嬉しかったのか、嫌がらせはエスカレートしていった。私が授業中に発言すると、ヒソヒソ笑われたり、聞こえる声で悪口を言われたりした。後はお手洗いに立った時に私の席とその周りの席を占領し、私が帰った時に座る席をなくして私の反応を楽しんだりとか。覚えている限りはそんなものだ。

そんな中でも少しの希望はあった。私と仲良くしてくれる子もいたのだ。私が1番覚えているのは、私が「ひーちゃん」と呼んでいた女の子だった。彼女は明るく面白くて、私に嫌がらせしてくる1軍女子とも仲良く出来るのだが、どこか陰がある不思議な子だった。その子とは、帰りの電車が同じ線だった事で仲良くなり始めたのだと思う。最初は彼女の話を一方的に聞いているだけだったのだが、この子は話しても大丈夫そうだなと思ったので、私からも話すようになった。もう1つ仲良くなったきっかけがあって、それは彼女が立ち上げた同好会だった。彼女は1年生の最初の方に、賛同してくれる1軍女子と、高校生の先輩と園芸同好会を立ち上げていた。ひーちゃんのクラスの担任がちょっと変わっていたのだが、その先生が園芸が好きだったので、その活動を手伝うという意味があったのだと思う。立ち上げる時は面白がって賛同してくれた1軍女子も先輩も、活動が地味だったからか、だんだん参加してくれなくなり、ほとんどひーちゃん1人で細々と活動していた。そこに、少し仲良くなった私が招待されたのだ。私は精神状態が不安定で、とても部活動なんか出来る状態ではなく、何も部活をやっていなかったのでちょうど良かったのだろう。勉強以外特にやることもなかった私は参加する事にした。活動といっても、敷地内にあるお花に水やりをしたり、時々寄せ植えをして構内に飾るというようなものだった。しかし、この同好会でまだ少し活動してくれてい子はみんな良い子で、とても居心地が良かった。

もう1人覚えているのは、かすと呼んでいた女の子だった。彼女はなぜか入学当初から私の事を気に入っており、朝会うと、「まな〜〜」とか言って抱きついてきたりした。ちょっと変わった女の子だった。昔から一部の人に熱狂的に好かれるタチらしい笑笑。周りの女子はレズだとか言って嫌がっていたのだけど、私は別に嫌ではなかった。(私もその子もレズではない、断じて) その子は私の事を気に入っていたので、嫌がらせが始まっても関係なく私に話しかけてくれて、仲良くしてくれた。嫌がらせに落ち込んでいるといつも励ましてくれた。同好会の立ち上げメンバーでもあったのだが、活動に参加してくれていて、帰りが同じ線だったのでよく一緒に帰った。

その2人と私を中心に比較的成績の良い子達数人で同好会の活動をしていた。夏休みには大した活動もしないのに水やりのためだけに学校に集まって、水遊びをしたり笑、家にいたら勉強しないからとみんなで学校に集まって勉強したりしていた。勉強しに集まると言っても、みんなすぐに勉強に飽きてしまって、黒板に落書きして遊んでいたりした。そんな時にたまたま前を通りかかった体育教師に「勉強するっていうから教室貸してやってんだぞ、勉強しないなら帰れ!」と怒られてシュンとしたりした。A組とB組しかなかったのに、ひーちゃんとは3年間クラスが別だったので、休み時間にピロティーに出て、土ふるいをしながら将来の不安とか学校の不満とかを語り合ったりもした。ピロティーは先生方も通るので、数学教師に「お前ら、またやってんのか」と呆れられたりもした。別に土ふるいをしたくてやっているのではなかった。土ふるいという口実を作って、A組B組関係なく仲良い子達と集まって話すのが楽しいからやっていた。

しかし、この頃の私は生きるのがとても辛かった。まず学校に通うのが辛いのに、放課後や休みの日に勉強しなくてはという強迫観念に常に晒されている。その上、やれ部活をやれ、やれ趣味を見つけろ、やれ運動をしろと言われる。私にはそんな体力はない。学校に通っているだけで精一杯で、それさえもままならないのだ。そして実家に帰ると「家事を手伝え」という母親のヒステリーが待っている。それに加えて将来への言いようのない不安というのが常に心を支配していた。「こんなんじゃ将来生きていけるはずがない。どうしよう。」という不安でいっぱいで、部屋で一人で泣いたりしていた。将来が不安なら現在を変えていくしかないのだが、私には現在を変える体力なんてなかった。とにかく毎日学校に通う。それだけで体も心も限界だった。アルバイトが出来ないのでお金を使ってストレスを発散することも出来ない。とにかく学校に通って家に帰って1日1日をやり過ごすしかなかった。不安や強迫観念を心に抱え続けたまま、学校に行き、嫌がらせを受けながらも、仲の良い友人数人と将来への不安を話したり笑ったりふざけたりしながら不安を昇華させる。そんな日々だった。寝る前に薬を飲むのだが、ほぼ毎日「生きるの辛いなあ…この薬全部飲んだら死ねるのかな…」とか思っていた。しかし生きるのを諦めるにはあまりにも早すぎた。

中学生というのは逃げ場がない。自分自身も思春期のドロドロしたものを抱えながら、同じくドロドロしたものを抱えた同い年の子ども達と、みんなのドロドロした感情が渦巻いている学校に通い続けなければならない。そこから嫌がらせ、イジメなども発生する。しかし、アルバイトをすることも出来ないし、お金を稼ぐことも派手に使うことも出来ない。とにかくその日々をやり過ごすしかない。その道から逸れることは許されない。

こんなこと考えてる人間がどれほどいるのか分からないけど、私は中学校というもの自体が嫌いだ。私の中学校以外でも、どの中学校に行っても同じようなものだったのではないかと思っている。とにかくみんな精神が未熟すぎるのだ。みんな他人との違いを許容することが絶望的に出来ない。みんな同じでなければ不安で不安で仕方ないのだ。その不安から少しでもみんなと違っている子を攻撃する。攻撃することで仲間との連帯感を得る。そんな場所だった気がする。

高校生になると、少しは他人との違いを許容することが出来るようになるし、部活がやりたくないならアルバイトするとか、稼いだお金でストレス発散するとか、学校に通うのが辛かったら通信制高校に行くとか、色々な選択肢が出来るようになるのだが、中学生というのはなぜこうも自由がないのだろうか… 本当に今思い返しても嫌になる。ただ、そこを生き抜けば少しは自由を得られるし、楽しいこともあるかもしれない。とにかく生きるしかない。生き抜くことでしか希望は生まれない。