安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

普通の人に擬態して生きてきた話

今日はなぜか6時に起きてしまった。とりあえず今日の昼食と夕食のメニューを考え、ご飯を炊いた後、買い物に出かけた。家の近くに24時間営業のスーパーがあるのでありがたい。必要な物だけを買い、家に帰った。ついでに昨日実家から持ってきた衣装ケースと服をまだ家に搬入していなかったのでやっておいた。ここまでやったら疲れてしまったため、2度寝をした。

今日は午後からアルバイトの面接があった。結婚してからアルバイトをしないで過ごしてきたのだが、そろそろアルバイトを始めたいなあと思っていた。しかし、なかなかやりたい仕事がなく、決まらずにいた。それと私は最近WEBデザインに興味があり、勉強しているのだが、ただ勉強するだけだとあまりやる気が起きないなあと思っていた。最近はその2つを主に考えていたのだが、昨日唐突にWEBデザインをするアルバイトをすればいいのではないかと思いついた。そして昨日早速検索してみたところ、家の近くで1件だけそれっぽい求人を見つけ、すぐに応募した。すると昨日のうちに電話がかかってきて、今日アルバイトの面接に行くことが決まった。私の持ち前の衝動性が発揮されている笑。昼頃起きて準備をしていると夫が起きてきた。家から駅までが少し遠いので駅まで車で送ってくれることになっていた。結局、今日昼食を作ることは出来なかったが、夫は昨日作ったカレーと味噌汁を食べてくれた。ご飯も炊いてあったので丁度よかった。

面接に行ってみたところ、私が思っていたのとは少し違う仕事内容だった。まだ大学に通っていることやWEBデザインの勉強をしたいことなどを赤裸々に話したのだが、あなたの思っている仕事内容とは違うということを指摘された挙句、やりたいことを1つに絞った方がよいと説教されてしまった。私はアルバイトの面接を受けるときに相手の都合の良いように擬態するのが得意なのだが、今回は擬態せずにありのままいったらこの有様だ。やっぱり擬態しなきゃダメなんだなと思った。アルバイトの面接だけでなく私は普段の生活でも普通の人に擬態して生きてきた。普通ではないことが分かってしまうと途端に人は態度を変えるからだ。その時の反応がすごく嫌いだ。思えば私の人生、家にいて家族と一緒に過ごしている時間以外はずっと普通の人に擬態して生きてきた。私の人生はほとんど擬態で出来上がっている。擬態していると本当の自分が何なのか分からなくなってしまい、自分の感情に鈍くなっていく。それでも素の自分は到底他人には理解できないだろうと思い、人間は理解できないものを排除したがる傾向があるので、排除されないために擬態するしか生きていく方法がないと思って生きてきた。それが最近は素の私を受け入れてくれる夫や、擬態して生きてきたことを分かってくれる夫の知り合いの方などに囲まれて、なんとなくありのままでも生きていけるんじゃないかと思うようになっていた。実際、今の私はありのまま生活している。しかし、やはり世間はそんなに甘くはなかった。ありのままを受け入れてくれる人の方が圧倒的に少ないのだなと思った。まあ今回の反省を生かして、他の面接ではうまいこと擬態して受かることにしようと思う。幸い、擬態するのは得意だ。

そのあとは歯医者の予約があったのだが、時間を間違えていた笑。今日、予約したことは覚えていたのだが時間までは覚えていなかったし、確認するのも忘れていた。結局歯医者に着いたのは、予約時間を20分ほど過ぎた頃だったが、なんとか診てもらえてよかった。次回からは間違えないようにしよう。

家に帰り、今日の朝買った材料で夕食を作った。夫は仕事で帰りが遅いので自分1人で食べた。最近、料理は意外と楽しいなあと思っている。レトルト以外で料理をし始めたのが本当に最近なのだが、やっぱり手料理はいいなあと思う。スーパーに行って冷凍食品や出来合いのものしか買わない生活は結構心が荒む。栄養も全然取れない。ここ最近気分が沈んでいたり、無気力だったり、すぐに疲れてしまう状況だったのはそのせいかなと思い始めている。これからはやる気があまりでなくてもなんとかスーパーまで行って料理をしてみようと思っている。その方が気持ちが楽だし荒まない。あと私は結構片付けが好きなので、料理中にぐちゃぐちゃになったキッチンを綺麗に戻す作業が結構好きだ。綺麗になっていくのが目に見えて気持ちいい。それだけでだいぶテンションがあがる。

そのあとは昨日持ってきた衣類の整理をした。実家にはあまり広いスペースがなかったので持っている衣類をすべて床に並べてみるなんてことは出来なかったのだが、今の家は結構片付いているのでそれが出来た。広げてみるとこんなにたくさん持っていたんだなあと驚かされた。片付けは得意なので30分くらいで綺麗に片付けることができた。今日も良い1日だった。明日、急に無気力にならないことを願う。