安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

モチベーションを一定に保つことが出来ない

11時起床。昨日は寝たのが3時だったのでもうちょっと寝ようかと思ったが目が覚めていたので起きた。今日もやる気がみなぎっていたのでお昼ご飯はオムライスを作ることにした。ちょうど昨日余ったご飯ともうすぐ賞味期限が切れる卵で作ることが出来た。作っていると夫が起きてきた。出来上がったものを夫と2人で食べた。意外と美味しく出来ていて良かった。私は結婚するまでは全く料理をしなかったのだが、必要に迫られるとやるものだし、インターネットで調べれば結構簡単に出来るものもあるなあと思った。夫はその後仕事に行ったので私は家の片付けを始めた。今日はすごく天気が良かったのでついでに布団も干した。服を入れるケースや服をかけるところが不足していて、服が溢れかえっているのが気になった。衣装ケースは私の実家にたくさんあるので持ってきたいなあと思っているのだがなかなか出来ずにいる。私の実家まで車で行くのがめんどくさいからだ。その時、今日はちょうど夫が仕事で私の実家の近くに来ていることを思い出し、仕事が終わったら衣装ケースを積んで帰ってくるとちょうど良いのではないかとひらめいた。早速夫に電話してみて、承諾を得た。私も電車で実家に行って荷物を積んで帰ってくることになった。夫の仕事が終わるのが遅いので、出発までちょっと時間があるなあと思った。何をしようかなと思っていると昨日、味噌汁を作るために買った小松菜が冷蔵庫の中でしんなりしていた。これは早く料理しなきゃなと思い、小松菜の味噌汁を作った。今日食べるわけではないけど、冷蔵庫で冷やせば明日食べられる。まだ時間が余ったので何をしようかなと考えていたら、昨日のカレーの材料も残っていたので、カレーを作って冷凍しておこうと思った。ただ、ちょっと時間がギリギリになってしまうなあと思い、一瞬迷ったが、今日作るのが一番良いと思い、作ることにした。

私はやる気のある時とない時の差がとても激しい。やる気のある時は、やろうと思ったことがなんでも出来てしまうのだが、無気力な時は本当に何もやる気が起きない。ただただだるくて目が覚めても1日中布団の中にいるような生活になってしまう。また、今、やる気がすごくても明日にはどうなっているか分からない。今日も昨日、活動し過ぎてしまったので夕方まで寝ているだろうなと思っていた。その予測が出来ないのも結構大変だ。実家にいる時はやる気がある時だけ活動してダメな時は寝ているで全然生活出来たのだが、今現在、夫が仕事で忙しく私が家事をしなければいけない状況だと結構大変だなあと思う。料理は毎日しなければ結局外食か弁当になってしまうし、洗濯物はやらなければどんどんたまり続けるし、掃除をしなければ家はどんどん汚くなっていく。一時的にめちゃめちゃたくさんやったからといってそれで終わるものではない。継続的にやらなくてはいけない。一定のモチベーションを保つことが出来ない私にとっては大変なことだなあと思う。ただ、やらなかったからと言って責める夫ではないし、洗濯や掃除は私が出来なければ夫がやってくれるのでとても助かっている。夫は私がやる気がない時にずっと寝たきりでも一言も文句を言わないし、むしろ今日のように色々やり過ぎていると心配するくらいだ。非常にありがたい。発達障害があると完璧を求められる人とは一緒に生活出来ないなあと私は思う。しかし、だからといって何もやらなくては良いわけではなく、私も私なりに頑張っていかないといけないと思って日々生活している。

カレーを作ろうと思ったが、材料が無かったのでスーパーに買いに行った。買おうと思っていたもの以外にも気が散ってしまう性質があるのだが、今日は時間がないから欲しいものだけかって帰ろうと思っていた。しかし、入り口でもう既に気が散ってしまった笑。今日はスーパーのセールの日だったのだ。毎週火曜日にセールをしているらしい。入り口に特売の物が色々置いてある。じゃがいも、にんじん、玉ねぎなどが置いてあり、絶対にいるものだし買ってしまおうかなと若干思った。多分普通の主婦だったらセールの時にたくさん買ってそれを毎日の料理に使っていくのだろう。ただ、私にはそれが出来ない。なぜなら、モチベーションを一定に保つことが出来ないからだ。今日はめちゃめちゃやる気があるが、明日はどうか分からない。明日から1週間無気力が続いたらその材料は無駄になってしまう。そう考えると、買うことが出来ないのだが、やる気があって料理をしたい時に材料を買っていると安く買うことはなかなか出来ないなあと思ってしまう。でも安く大量に買って使わないで捨ててしまうのももったいないしなあとかぐるぐると考えてしまった。結局、欲しいものだけ買って帰った。やはり私はやる気がある時に何を作るか考えてその材料をその日に買いに行くことが一番良いのではないかと思う。というかそれしかない気がする。結局、私は普通には生きられないのだ。普通に生きようと思うと疲れてしまうので私は私でやっていこうと思う。

家に帰ってカレーを作っていたら結構時間ギリギリになってしまって大慌てで駅まで向かった。なんとか電車に間に合って良かった。

実家に着くともう20時を過ぎていて、急に来ることが決まったため母親は少し不機嫌だった。服を整理していたら、服以外の物がたくさんあって困った。私はこんなに物をたくさん持っていたんだなあと思った。あまり時間もなかったため服以外の物はまた今度整理しに来ることにして服と衣装ケースだけ車に積んで帰った。

母親が不機嫌だったので気を遣ってしまったのか帰りにどっと疲れてしまった。今日もいろんなことが出来て良かった。明日も頑張ろう。

張り切り過ぎて疲れた

今日はなぜか朝8時に起きた。朝に自分から目覚めるととても気持ちいい。一昨日まで実家におり、母親に料理をするように言われていたので料理をしようと思い、スーパーに買い物に行った。行く前に溜まった洗濯物を洗濯してから行った。スーパーで自分でも作れそうなものを色々物色し、材料と鍋を買って家に帰った。今日は朝起きて時間があったので、カレーを作って冷凍し、味噌汁も作って冷蔵し、お昼はオムライスを作って食べようと思っていた。今から考えるとやる気に満ち溢れ過ぎていて面白い。母親がかなり体力がある人で、家事を完璧にこなしたうえでパートに行くような人なので影響されてしまったようだ。私はすぐ影響されてしまう。実家に帰った時は体調を崩していてメンタルにもけっこうキていたので母親と比べて何もできない自分にかなり落ち込んでしまった。今日はたまたま朝起きたし元気になったので張り切り過ぎてしまった。

家に帰ってまずご飯を炊き、洗濯物を干した。まずはカレーを作ろうと思い、料理に取り掛かった。初めてだったので意外と時間を使ってしまった。カレーを作り終わってまだ11時半くらいだったが疲れてしまって虚無になってしまった。少し休もうと思いスマホをいじっていると夫が起きてきた。夫は最近早朝に寝て昼に起きる生活サイクルになっている。私はまだまだやりたいことはたくさんあったのだが疲れてしまって動けなくなってしまっていた。そのまま布団に横になり昼寝でもしようかと思ったが夫が話しかけてきて全然寝られなかった笑。昼寝しても特に意味はないので全然良いのだが。寝られなかったので夫と話をするために起き上がった。夫は私は完璧主義で何でも完璧にやろうとしてしまい、それが出来なくて自己嫌悪に陥っていると指摘してくれた。確かにその通りだ。今日は実家の母親のように完璧に家事をやろうとして疲れてしまった。私には体力がなさすぎる。夫は私の母親のようにならなくても私は私でいいんだよと言ってくれた。出来ることだけやっていればいいと言ってくれた。私は体力が本当にないので寝ていることが多いのだが寝ていても夫は全然責めてこない。本当にありがたい。

私は完璧にやろうとして無理をし過ぎて疲れてしまい無になるというのを繰り返して生きてきたので私には自分のキャパが分からない。ここまでなら大丈夫という確信がない。それは結構困ったことだなあと感じているのでそれを把握できるようになりたいなあと思う。

まあ結果として今日は掃除、洗濯、料理全て出来て昼寝もせずに1日を終えられたので及第点かな思う。これからも無理をし過ぎない程度に頑張って行こうと思う。

あとがき

一昨日、ADHDの病院の通院があり、夫と一緒に行って私の両親と1ヶ月に1度の顔合わせも済ませてきた。最初に鉢合わせした時はパニックになり、厳しい言葉を夫に浴びせた両親だが、今ではすっかり夫を気に入っている。私と一緒に暮らすのは相当大変なことを分かっているからこそ、私が元気に心穏やかに暮らしている様子から今の環境は私にとって、とても良い環境だと理解してくれているみたいだ。夫の人柄も大きく影響していると思う。夫は心が優しく、本当に私のことを思ってくれている。両親に挨拶に行かなかった件だが、実は夫は何回も挨拶に行こうと言ってくれていた。ただ、私がそれを拒んでしまった。母親がヒステリーを起こし、父親が夫を怒鳴る未来が想像できてしまったからだ。交際期間がなかったこともあり、両親には絶対反対されると思っていたので、両親は完全に無視の方向性でいこうと思っていた。それ自体おかしいとは思うが、実家を一刻も早く出たかった私にはそれしか考えつかなかった。結婚ではなくお付き合いするにしても相当な反対を受けただろうし、夜遅くまで外にいることは許されなかったと思う。母親は追い討ちが大好きなので、付き合っている時に何かトラブルが発生し、私が落ち込んでいる時に「やっぱりそんな彼氏やめなさいよ」と言ってきて別れさせるパターンだと思う。母親はそれを自覚なく普通に行ってしまう人だ。だが、私は母親が嫌いなわけではない。ヒステリーを起こしたり、実家に縛りつけようとはしてくるが、私を育てるのは相当大変だろうし、かなりの苦労があったと思うからだ。母親は母親なりに一生懸命私を育ててくれたのだろうと思っている。ただ、これ以上一緒に住むのは精神的にきつかったということだ。

少し体調を崩していたのでそのまま2泊してしまった。家族はみんなとても優しく、久しぶりに母親のおいしい手料理もたくさん食べられた。実家とも今のところ何の問題もなく関われている。

確かに私は世間的に見たらただの「困った」娘で両親はそれを優しく見守ってくれる心の広い存在なのだと思う。私の生き方は世間から見れば相当間違っているのだと思う。ただ、私は私なりにずっと頑張って生きてきたことだけは否定されたくないという気持ちがある。最良の道をずっと選んできたつもりだ。

夫は結婚した時はほとんど無職のような状態だったが、今は技術を買われて知り合いの方の会社で働いている。最近は仕事が忙しいようで、あまり話せない日々が続いている。この2ヶ月間でずいぶん頼もしくなったなあと感じている。

私は「困った」お嬢さんではあるが、実際には、今は何にも困っていない。運良く、発達障害や私の性格を理解してくださる方々に囲まれ、無理なく、自由に暮らせている。こんなに居心地のいい場所は他にはないのではないかと思うくらいだ。これもひとえに夫のおかげだなと思っている。世の中の大半の人には理解してもらえないけれど、私の近くにいる人には理解してもらえるというのはそれだけで心の安定に繋がる。

最近の私は世の中の役に立つ技術を身に付けようと頑張っている。技術があればお金を稼ぐことができる。たとえ1人になったとしても大丈夫だと思っている。(今のところ1人になる予定は毛頭ないが)私は私に出来ることを頑張り、これからも落ち着いた、平和な日常を過ごしていけたらなと思っている。

親に黙って入籍したら人生最大の修羅場が訪れた話

※7月23日、親に黙って入籍しました

shinnotsuma.hatenablog.com

※7月31日、8月1日、2日に家族旅行が5月くらいから予定されており、その後8月3日、4日、5日に夫が仕事で大阪、京都、名古屋に行く予定があり、どちらも行く予定だったので6日から新居に引っ越す予定だった前提でご覧ください

入籍から人生最大の修羅場まで

7月24日、朝から夫とデート。スカイツリーに登り、その後浅草に行った。楽しかった。夢のような時間だった。だがしかし、家に帰った後重大なことが発覚する。保険証のことだ。親に黙って入籍してしまったのだが、保険が親の扶養に入っていたままだったのだ。既に入籍していて名字が変わっているのですぐに抜けなければならないが、それをやると親に結婚がバレてしまう。絶望に陥った。夜ご飯の前に気づいたので夜ご飯が全く喉を通らなかった。また、この日毎年見ている音楽番組の特番がやっていたのだが全く見られなかった。とにかく絶望に打ちひしがれた。とりあえず夫にLINEし、次の日年金事務所と区役所に行くことにした。

7月25日、年金事務所と区役所に行った。年金の方は全く問題なかった。区役所に行き保険のことを聞いてみるとやはり親の扶養を抜けなければならず、親にバレてしまう可能性が高いとのことだった。2人で絶望した。もうどうしたら良いか分からなかった。8月6日から新居に一緒に住む予定だったのだが、もう明後日家を出てしまおうという意味不明な結論に至った。もう全てから逃げてしまいたかった。

7月26日、母親の仕事が休みだったので実家にいた。昼頃弟と母親とお昼ご飯を食べに行った。全然食べられなかった。母親がさすがに心配して何かあったの?と聞いてきた。母親にはなんでもバレてしまう。最近様子がおかしいことに気づかれていた。母親は何かあると確信を持っているようだったので仕方なく大学の勉強を続けるのが辛いと言った。今度は母親が絶望した。大学辞めてこれからの人生どうするのと言われた。答えられなかった。その後、区で借りていた本があったので返しに行った。ちょうど夕方で学校や幼稚園が終わって自転車で子どもを連れて帰るお母さんたちがいっぱいいた。無性にエモくなってしまいボロボロ泣いてしまった。私もこんな風に大切に育ててもらったのに裏切って行ってしまうのかあと思った。実家にいると辛いことの方が多かったはずなのにいざ出て行くとなると良いところしか思い浮かばなくなってくる。

7月27日、何もやる気が出なかったため夫に家を出るのを明日にしてもらった。1日中どうしたら良いか悩んだ。辛い時間だった。

7月28日、夫が住んでいるシェアハウスまで私の荷物を持って行き、そこから引っ越し先まで知り合いの方の車で向かうことになっていた。シェアハウスまでは電車で行こうと思っていたのだが少し前私と夫と一緒にシェアハウスに住んでいた方が車で実家まで迎えに来てくださった。この日はしょぼい喫茶店で結婚を祝う会を夜にやる予定だったのだが、台風だったため中止にした。シェアハウスに行き、昨日1日考えた結果、やはり当初の予定通り6日から一緒に住むことにしたいと夫に伝えた。この日は知り合いの方の車で夫だけ新居に行き、私の荷物も運んでくれた。夕方ごろ実家に帰ると、台風の中外に行ったのはおかしい。どうして外に出かけたのかと両親に問いただされたため、仕方なく彼氏が出来たと言った。シェアハウスに一緒に住んでいた人でイベント系の仕事をしていると説明したらそんな意味がわからない人辞めなさいと言われた。

7月29日、浅草で夫とデートしたみたいだが何をしたのか覚えていない笑。特に何もしなかったと思う。1人だと色々と不安になってしまうのでなるべく2人で居たかったのだと思う。この日は花火大会があったので家族と花火を見た。子供の頃から見ていた花火大会も見るのはこれで最後になるんだなあとか思った。

7月30日、父の会社に保険のことで電話した。父には内緒で扶養を抜けたいと言った。電話した感じ大丈夫そうだった。それと郵便局に行って転居届を提出した。8月3日から転送してくれるとのことだった。明日からの家族旅行の準備もした。

7月31日、家族旅行1日目。夫との新生活のことが不安すぎて気が動転しており、生まれて初めて携帯電話を紛失した。幸いなことに忘れた場所がほとんど人が来ないパーキングエリアだったため、携帯電話自体はすぐに回収された。旅行中だったため3日の午前中に自宅に届けて欲しいと言ったが、日時指定が出来るか分からないと言われた。ここでまた絶望した。3日の午前中に届かないと、午後には家を出てしまうので携帯電話が回収出来ない。

8月1日、2日 携帯電話と新生活のことで旅行どころではなかった。気が動転したままなんとか旅行をやり過ごしたという感じだ。機嫌もあまり良くなく、家族には非常に申し訳なかった。

8月3日、当初の予定では夫と私のADHDの病院に行った後にもう大阪に向けて出発してしまう予定だった。ここで人生最大の修羅場が訪れることになろうとは…

人生最大の修羅場

8月3日 その日はADHDの治療のために通っている病院の診察日だった。

携帯電話のことなのだが、奇跡的に家を出る前に私の元に帰ってきた。奇跡としか言いようがない。待ち合わせ場所は決めていたのだが、私が勘違いしていたため、その携帯電話が無ければ夫と待ち合わせ場所で会うことすら出来なかった。

私は夫と駅前で待ち合わせて一緒に病院のビルのエレベーターに乗った。
そこに突然母親がエレベーターの中に入ってきた。頭の中が真っ白になった。夫はもちろんその人が誰か分からない。頭が真っ白なま病院に入るとそこに父もいた。もうなにがなんだか…。

ちなみにこの状況を説明しておくと、先程の保健証の件が影響している。保健証の件は父親の会社に電話した時点ではなんとかなると思ったのだが、結局一企業が親に黙って扶養を抜けるなどという異常ムーブを許すはずもなく、電話を取った女性の事務員が父親に娘さんからこんな内容の電話がかかって来ましたと報告してしまったらしい。
そして私が病院に行くために家を出るとき、旅行をするための多きなバックを持って出るのを家にいた母親に見つかってしまい、不審に思った母親が父親に電話。そこで父親から母親に私の電話の内容が伝えられ、母親はこのままでは私と永遠に会えなくなってしまうと瞬時に悟り、慌てて追いかけて来て、父親もこの一大事に会社で仕事をしている場合ではないということで突如会社を早退し、病院に来たというわけだ。確かに私は両親と永遠ではないにしろ、しばらくは会わない予定だったので母親の勘は正しい。つくづく母親って怖いなあ、なんでも分かってしまうなあと思った。

夫は私の両親だと察した時に「お付き合いさせていただいている○○です」と名乗った。両親の反応は「はあ…」(戸惑い)という感じだった。
診察を待っている間、父親が私に「本当に彼と結婚したいと思っているの」と聞いてきた。私は「うん。」と答えた。もう既に入籍していたのだが笑。

診察室には私と両親の3人で入った。両親は「今、結婚したいと言っている彼氏が来ているんですよ」と先生に言っていた。先生はここは治療に来ている病院で治療以外のことは何も出来ないので4人で喫茶店でも言って話して来てください。戻ったら声をかけてください。と言った。

4人で喫茶店で話している時は地獄のような時間だった。最初は両親は結婚していることは知らず、付き合っていて結婚したいと思っているぐらいに思っていた。
唐突に母が「まさか入籍はしていないよね?」と質問してきた。両親から逃げることばかり考えて生きてきた私はこの局面になっても最後まではぐらかそうと思った。しかし、夫が「はい、もう入籍しました。」と言った。私は目の前が真っ暗になった。両親も真っ暗になったと思う。両親の「入籍したあああ?!」が店内に鳴り響いた。その後私の父親はかなり厳しい言葉を浴びせてきた。「結婚しちゃったって… そんなことして許されると思った?」「結婚なんてしたって1つも良いことはない」「これからお付き合いしたいならさせてあげようと思っていたけど結婚しちゃったら話が別だよ」など。要するに絶対に認めない、許さないという感じだ。母親は気が動転してしまったのか私の悪口を矢継ぎ早に言い始めた。「この子は本当に何も出来ない子なんですよ」「通院にお金がかかるし」「ずっーと寝てるし」などなど。あまりのdisり様に私は夫が私の事も私の母の事も嫌いになってしまうのではないかとヒヤヒヤした。それでも夫は「まなさんのことを真剣に守りたいと思っています。」と言ってくれた。それに対して両親は「あなたはそもそもこんなに大事に育てて来て実家が嫌ってことがおかしいと思いませんか?」「この子の我慢がないだけなんですよ」「まなは逃げグセがあって嫌になるとすぐ逃げるんですよ」などと言い始めた。夫は真剣な様子で「そんなことないです」「僕はまなさんを信じています」と言ってくれた(泣)。 両親はそのうち裏切られますよみたいな感じだった。結局話は平行線を辿ったため病院に戻ることになった。2時間くらい話していた。

病院は結構混んでいたため1時間半くらい待たされた。絶望の時間だった。私はもうここの先生には呆れられて見放されて治療終了になり、両親からも見放されて一生会えないかもしれないなどと考えていた。4人全員で俯いて一言も話さなかった。診察室に入って一言目の母の言葉が忘れられない。「もう入籍しちゃったんだそうです…」(呆れと絶望)。額に手を当てて本当に絶望しながら言っていた。それを聞いた先生は予想通りだったのかあまり驚いた様子もなく、色々と質問して来た。ほとんど何も答えられなかった。情けない。その日はもう実家を出て夫と一緒に住む家に行こうとしていた。両親は連れ戻す気だったと思うが先生はそれはもう行っちゃいなさいと言った。
先生が今の状況を冷静に分析し始め、これから私がどうしていくべきかと私の両親がどうやって私を支えていくべきかを話し始めた。そして1ヶ月に1度夫と私の両親が会って私の様子を伝え合うということで話がまとまった。本当によくまとまったな笑。奇跡としか言いようがない。私が1年間治療を真面目にやってきて症状がだいぶ改善されたため両親が先生を信頼していたのが大きかったらしい。先生が真面目に私のことと私の将来、そして両親のことを考えてくれた結果だと思う。それにしてもあまりにもうまく話がまとまりすぎだ。両親と別れてからしばらく夫と2人でぽかーんとしていた笑。

やはり、入籍してしまっていたことが大きいのだと思う。入籍していなかったら私は実家に連れ戻されて外に行くことさえ制限されていただろう。夫がまっすぐに「入籍しました。」と言ってくれたおかげだ。あの時は目の前が真っ暗になったけど。夫は突然会ってしまった私の両親に対しても真摯に向き合おうとしていた。本当に偉い。私とは比べものにならない。

10時からの診察だったのに終わったら17時くらいになっていた。お腹が空いたので駅の中のチェーン店でうどんを一緒に食べた。その後、無事に深夜に大阪に向けて出発しましたとさ。めでたしめでたし。

というか、本当にめでたい。奇跡的に何もかも上手くいった。起こった出来事1つ1つ、どれが無くても新生活は上手く機能しなかったと思う。奇跡としか言いようがない。全てが上手くいってしまった。そして上手くいったまま2ヶ月が過ぎようとしている。本当に奇跡でしかない。神様ありがとう、、、私は幸せです。

人と向き合うということ

最近、私は人生で初めて人と向き合うということをしているなあと思う。普通の人は普通に人と向き合って生きているのだろうけど、私は母親がよくヒステリーを起こすこともあり、回避性パーソナリティー障害のような状態になっている。要するに、相手が否定的な感情を表してきたり取り乱したりしているとそれに向き合うことをせずにめんどくさいと思って向き合うことを諦めてしまうということだ。普通の人は他人が泣いたり喚いたりしていると「どうしたの?」と声をかけたり解決策を見つけてあげようとしたりする。しかしヒステリーは対応してもどうにもならないため、そのような行動をするのを諦めて相手とは距離を置く。私は他人と関わる中で少しでもめんどくさい問題が発生すると、関係を一切断ち切って生きてきた。そして他人と真剣に向き合うことをしないまま今まで生きてきてしまった。

また、私はADHDの特徴で自分の感情を表現することもすごく苦手だ。幼稚園の頃くらいから先生に「泣いているだけじゃ何も伝わらないよ」と言われていた記憶がある。何か辛いことや我慢できないことがあって泣いているのだが、それを言語化することが極端に苦手で、説明することのないまま終わってしまう。周りの人からは変な子だと思われて終わってしまう。そんな感じだった。自分の気持ちを表現出来ないでいるとその内自分が何を感じているのかも分からなくなってしまう。感想とかを聞かれると途端に反応に困ってしまう。ずっとそんな感じで生きづらいなあと思いながら生きてきた。

結婚してからも夫の前でいきなり泣き出すことが何度かあった。自分の中では色々な感情が渦巻いた結果泣いてしまっているのだが、夫から感情は見えないのでいきなり泣き始めたと感じられてしまう。何で泣いているのか全く分からないため夫は反応に困ってしまう。そんなことが何度かあり、このままでは夫を困らせたまま終わってしまうと思い、なんとか自分の感情を捻り出さなくてはと思うようになった。今日も色々と辛いことが重なって泣き始めてしまったのだが、自分が何を辛いと思っているのか必死に考えた。頭の中でそれを言語化して、何度もシュミレーションした。そんなことをしたことは今まで一度もなく、他人に理解されなくてもいいや、変な子だと思われたら関係を断とうと思って生きてきた。それをしないのは夫と関係を切ることは絶対したくないし、大切に思っているからだと思う。そして拙くはあるけれどなんとか気持ちを表現した結果、夫に気持ちが伝わり、日々夫が何を考えたり感じたりしているのかも知ることができ、私の気持ちも落ち着いた。結婚して初めて他人の感情に真剣に向き合おうと思ったし、自分の感情とも真剣に向き合い始めることが出来た。これは私にとっては大きな成長ではないかなと思う。自分の感情と向き合うことも他人の感情と向き合うことも簡単ではないし、避けて通れるなら避けて通りたい道なのだと思う。実際私はずっと避けて通ってきてしまった。辛く、大変なことではあるけれど関係を保っていくためには必要なことだと思うし、大切な夫との関係を保つために頑張っていこうと思う。

結婚して大人になるということ

この間実家に帰った時、母親に少し大人になったねと言われた。

やらなければいけないことを先延ばしにする傾向がかなり強かったのだが、結婚してからはそれが少し良くなった。2人で生活していて、やらなければいけないことを先延ばしにすると生活が破綻してしまうという状況になったのでやるようになったという感じなのかなと思う。実家にいるときは最悪、親がやってくれたし、基本的に面倒ごとは親任せだったなと思う。

今も夫に助けられている部分は多分にあるが、自分で出来ることも多くなった。電話をかけるのがすごく苦手だったのだが、夫は困ったことがあると何でもすぐに電話するタイプの人で、困っている人には意外とみんな優しいよと言われ、電話するのもすぐに出来るようになった。また、どこかに行かなければいけないけれどめんどくさいと思っていると、夫が行こうと言って車を出してくれるので、用事を先延ばしにすることもあまりなくなった。書いているとほとんど夫のおかげということが分かった笑。しっかりしている夫に支えられて私も日々成長しているんだなと思う。

日々の家事も意外とやることが多い。私は過眠の傾向があり、大体昼頃に起きるので一日がすごく短い。朝から起きているとスムーズに家事をこなせたりするのだが、毎日昼頃に起きる生活だと掃除、片付けなどが放ったらかしになり、家が崩壊し始める。私があんまり片付けをしていないと、夫がやってくれるのでありがたいのだが、夫は掃除はあまりしないので埃や汚れが溜まっていく。昨日はお風呂の排水溝に汚れがたまり、お湯が流れなくなってしまった笑。排水溝の仕組みをよく理解しておらず、掃除が出来なかったのが原因なのだが、蓋をとって排水溝をのぞいてみるとなるほど、めちゃくちゃ汚れていた。夜遅かったので明日掃除しようと思い、昨日は最低限お湯が流れる状態にして寝た。

そして今日、なぜか15時まで寝ていた笑。雨が降っていたので外に行くことが出来ず、家で調理して食べた。食べながら家を見渡していると、家が崩壊しかけていて、かなり居心地が悪い状態だった。調理する前になんか居心地悪いなー、今日は家に居たくないなーと思っていたのだが、家が崩壊しかけていたからだった。今日は夫が東京に出かけており、一日中家にいない日だったので、掃除の絶好のチャンスだった。1時間かけて家中を入念に掃除した。ついでに片付けもした。掃除していると埃がすごかったので家中の空気の入れ替えもした。排水溝の掃除も入念にした。大変だったが、家がかなりスッキリしていい感じだ。今まではあまり意識しておらず、気づいたらやるという感じだったのだが、1週間に1度は家中を掃除しなきゃなという感じだ。

こういう風に家が崩壊する前に片付け、掃除ができるようになったというのも成長だなと感じる。実家にいると時はしょっちゅう部屋が崩壊していたし、やる気が起きないと崩壊したまま何日も放っておいたりした。困るのは自分だけだったし、崩壊していても意外と気にならなかったりした。今は崩壊しかけていると放っておくなんてことは絶対出来ないし、寝ている場合じゃない、何としてもやらなくてはと思う。片付け、掃除は意外と手順が多くて大変なのだが、とりあえず1つ1つやっていこうと思えるようになった。私の祖母がよく言っていた言葉で、「やらなければいけないことを数えても辛くなるだけで何の意味もないから、目の前のことを1つ1つ片付けていけ」という言葉があり、母親も教訓にしていたが、私も教訓にしてやっていこうと思う。

実家に帰り、母親が私の成長ぶりに驚いていたことは結構嬉しかった。母親は私のことを本当に何もできない子供だと思っているので、その認識をどんどん改めていきたいと思う。

私は見た目が幼く見え、高校生に間違われることも結構あり、結婚指輪をして電車に乗っていると、他人に2度見されたり、驚いた顔で見られることが多い。そのことを知り合いの方に話した時に、私は「周りの人に子供が結婚していると思われている」と言ったことがある。するとその知り合いの方は「大人が結婚するんじゃない、結婚して大人になるんだよ。」と仰っていた。その時は意味がよく分からなかったが、今は本当にその通りだなと思う。結婚は人を成長させてくれる。私も何も出来なかった20歳の女の子からどんどん成長していきたい。

 

結婚した理由

風邪を引いてダウンしていたので全然ブログを更新できていなかった。

 

今回は結婚した理由について書こうと思う。

 

第1の理由 

好きだから

これに尽きる。

補足でどこが好きか書いておくと人間性だ。夫には邪気が全くない。ここでいう邪気とは何かと言うと、他人に対しての陥れてやろうとか、バカにしてやろうとか、出し抜いてやろうとか、優位に立ってやろうとか、支配してやろうとか、そういう感情だ。明らかに邪気に満ちている人もそんなにいないけれど、少なからず人間には邪気が備わっていると思う。ところが夫からはそういうものが全く感じられない。

あとは年の割にとてもしっかりしているし、度胸も勇気もある。人間ができているなあと思う。

 

第2の理由

一緒に生活していけそうだから

私たちはシェアハウスに一緒に住んでいた時期があるのでお互いがどのような生活をしているかを理解できていた。夫の前では素の自分で居ることができたし、一緒にいると楽しい。それに他の人には言えないことでもなぜか夫には話すことができたし、受け入れてくれた。また、私は発達障害で病院に通っており、小学4年生の時からずっと不登校だったが、夫はそういうことにも理解があった。

 

第3の理由

タイミング

ここでやっとタイミングが来る。確かにタイミングは重要だったが、上の2つの理由がなければいくらタイミングが良かったからといって結婚はしていない。

 

まあそんな感じでお互い相手のことが好きだったのが1番の理由だ。

なぜこんなことを書いたのかというと、私が夫のことを好きなことがあんまり伝わっていないかなと思ったので・・・