安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

あとがき

一昨日、ADHDの病院の通院があり、夫と一緒に行って私の両親と1ヶ月に1度の顔合わせも済ませてきた。最初に鉢合わせした時はパニックになり、厳しい言葉を夫に浴びせた両親だが、今ではすっかり夫を気に入っている。私と一緒に暮らすのは相当大変なことを分かっているからこそ、私が元気に心穏やかに暮らしている様子から今の環境は私にとって、とても良い環境だと理解してくれているみたいだ。夫の人柄も大きく影響していると思う。夫は心が優しく、本当に私のことを思ってくれている。両親に挨拶に行かなかった件だが、実は夫は何回も挨拶に行こうと言ってくれていた。ただ、私がそれを拒んでしまった。母親がヒステリーを起こし、父親が夫を怒鳴る未来が想像できてしまったからだ。交際期間がなかったこともあり、両親には絶対反対されると思っていたので、両親は完全に無視の方向性でいこうと思っていた。それ自体おかしいとは思うが、実家を一刻も早く出たかった私にはそれしか考えつかなかった。結婚ではなくお付き合いするにしても相当な反対を受けただろうし、夜遅くまで外にいることは許されなかったと思う。母親は追い討ちが大好きなので、付き合っている時に何かトラブルが発生し、私が落ち込んでいる時に「やっぱりそんな彼氏やめなさいよ」と言ってきて別れさせるパターンだと思う。母親はそれを自覚なく普通に行ってしまう人だ。だが、私は母親が嫌いなわけではない。ヒステリーを起こしたり、実家に縛りつけようとはしてくるが、私を育てるのは相当大変だろうし、かなりの苦労があったと思うからだ。母親は母親なりに一生懸命私を育ててくれたのだろうと思っている。ただ、これ以上一緒に住むのは精神的にきつかったということだ。

少し体調を崩していたのでそのまま2泊してしまった。家族はみんなとても優しく、久しぶりに母親のおいしい手料理もたくさん食べられた。実家とも今のところ何の問題もなく関われている。

確かに私は世間的に見たらただの「困った」娘で両親はそれを優しく見守ってくれる心の広い存在なのだと思う。私の生き方は世間から見れば相当間違っているのだと思う。ただ、私は私なりにずっと頑張って生きてきたことだけは否定されたくないという気持ちがある。最良の道をずっと選んできたつもりだ。

夫は結婚した時はほとんど無職のような状態だったが、今は技術を買われて知り合いの方の会社で働いている。最近は仕事が忙しいようで、あまり話せない日々が続いている。この2ヶ月間でずいぶん頼もしくなったなあと感じている。

私は「困った」お嬢さんではあるが、実際には、今は何にも困っていない。運良く、発達障害や私の性格を理解してくださる方々に囲まれ、無理なく、自由に暮らせている。こんなに居心地のいい場所は他にはないのではないかと思うくらいだ。これもひとえに夫のおかげだなと思っている。世の中の大半の人には理解してもらえないけれど、私の近くにいる人には理解してもらえるというのはそれだけで心の安定に繋がる。

最近の私は世の中の役に立つ技術を身に付けようと頑張っている。技術があればお金を稼ぐことができる。たとえ1人になったとしても大丈夫だと思っている。(今のところ1人になる予定は毛頭ないが)私は私に出来ることを頑張り、これからも落ち着いた、平和な日常を過ごしていけたらなと思っている。