安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

あとがき

一昨日、ADHDの病院の通院があり、夫と一緒に行って私の両親と1ヶ月に1度の顔合わせも済ませてきた。最初に鉢合わせした時はパニックになり、厳しい言葉を夫に浴びせた両親だが、今ではすっかり夫を気に入っている。私と一緒に暮らすのは相当大変なことを分かっているからこそ、私が元気に心穏やかに暮らしている様子から今の環境は私にとって、とても良い環境だと理解してくれているみたいだ。夫の人柄も大きく影響していると思う。夫は心が優しく、本当に私のことを思ってくれている。両親に挨拶に行かなかった件だが、実は夫は何回も挨拶に行こうと言ってくれていた。ただ、私がそれを拒んでしまった。母親がヒステリーを起こし、父親が夫を怒鳴る未来が想像できてしまったからだ。交際期間がなかったこともあり、両親には絶対反対されると思っていたので、両親は完全に無視の方向性でいこうと思っていた。それ自体おかしいとは思うが、実家を一刻も早く出たかった私にはそれしか考えつかなかった。結婚ではなくお付き合いするにしても相当な反対を受けただろうし、夜遅くまで外にいることは許されなかったと思う。母親は追い討ちが大好きなので、付き合っている時に何かトラブルが発生し、私が落ち込んでいる時に「やっぱりそんな彼氏やめなさいよ」と言ってきて別れさせるパターンだと思う。母親はそれを自覚なく普通に行ってしまう人だ。だが、私は母親が嫌いなわけではない。ヒステリーを起こしたり、実家に縛りつけようとはしてくるが、私を育てるのは相当大変だろうし、かなりの苦労があったと思うからだ。母親は母親なりに一生懸命私を育ててくれたのだろうと思っている。ただ、これ以上一緒に住むのは精神的にきつかったということだ。

少し体調を崩していたのでそのまま2泊してしまった。家族はみんなとても優しく、久しぶりに母親のおいしい手料理もたくさん食べられた。実家とも今のところ何の問題もなく関われている。

確かに私は世間的に見たらただの「困った」娘で両親はそれを優しく見守ってくれる心の広い存在なのだと思う。私の生き方は世間から見れば相当間違っているのだと思う。ただ、私は私なりにずっと頑張って生きてきたことだけは否定されたくないという気持ちがある。最良の道をずっと選んできたつもりだ。

夫は結婚した時はほとんど無職のような状態だったが、今は技術を買われて知り合いの方の会社で働いている。最近は仕事が忙しいようで、あまり話せない日々が続いている。この2ヶ月間でずいぶん頼もしくなったなあと感じている。

私は「困った」お嬢さんではあるが、実際には、今は何にも困っていない。運良く、発達障害や私の性格を理解してくださる方々に囲まれ、無理なく、自由に暮らせている。こんなに居心地のいい場所は他にはないのではないかと思うくらいだ。これもひとえに夫のおかげだなと思っている。世の中の大半の人には理解してもらえないけれど、私の近くにいる人には理解してもらえるというのはそれだけで心の安定に繋がる。

最近の私は世の中の役に立つ技術を身に付けようと頑張っている。技術があればお金を稼ぐことができる。たとえ1人になったとしても大丈夫だと思っている。(今のところ1人になる予定は毛頭ないが)私は私に出来ることを頑張り、これからも落ち着いた、平和な日常を過ごしていけたらなと思っている。

親に黙って入籍したら人生最大の修羅場が訪れた話

※7月23日、親に黙って入籍しました

shinnotsuma.hatenablog.com

※7月31日、8月1日、2日に家族旅行が5月くらいから予定されており、その後8月3日、4日、5日に夫が仕事で大阪、京都、名古屋に行く予定があり、どちらも行く予定だったので6日から新居に引っ越す予定だった前提でご覧ください

入籍から人生最大の修羅場まで

7月24日、朝から夫とデート。スカイツリーに登り、その後浅草に行った。楽しかった。夢のような時間だった。だがしかし、家に帰った後重大なことが発覚する。保険証のことだ。親に黙って入籍してしまったのだが、保険が親の扶養に入っていたままだったのだ。既に入籍していて名字が変わっているのですぐに抜けなければならないが、それをやると親に結婚がバレてしまう。絶望に陥った。夜ご飯の前に気づいたので夜ご飯が全く喉を通らなかった。また、この日毎年見ている音楽番組の特番がやっていたのだが全く見られなかった。とにかく絶望に打ちひしがれた。とりあえず夫にLINEし、次の日年金事務所と区役所に行くことにした。

7月25日、年金事務所と区役所に行った。年金の方は全く問題なかった。区役所に行き保険のことを聞いてみるとやはり親の扶養を抜けなければならず、親にバレてしまう可能性が高いとのことだった。2人で絶望した。もうどうしたら良いか分からなかった。8月6日から新居に一緒に住む予定だったのだが、もう明後日家を出てしまおうという意味不明な結論に至った。もう全てから逃げてしまいたかった。

7月26日、母親の仕事が休みだったので実家にいた。昼頃弟と母親とお昼ご飯を食べに行った。全然食べられなかった。母親がさすがに心配して何かあったの?と聞いてきた。母親にはなんでもバレてしまう。最近様子がおかしいことに気づかれていた。母親は何かあると確信を持っているようだったので仕方なく大学の勉強を続けるのが辛いと言った。今度は母親が絶望した。大学辞めてこれからの人生どうするのと言われた。答えられなかった。その後、区で借りていた本があったので返しに行った。ちょうど夕方で学校や幼稚園が終わって自転車で子どもを連れて帰るお母さんたちがいっぱいいた。無性にエモくなってしまいボロボロ泣いてしまった。私もこんな風に大切に育ててもらったのに裏切って行ってしまうのかあと思った。実家にいると辛いことの方が多かったはずなのにいざ出て行くとなると良いところしか思い浮かばなくなってくる。

7月27日、何もやる気が出なかったため夫に家を出るのを明日にしてもらった。1日中どうしたら良いか悩んだ。辛い時間だった。

7月28日、夫が住んでいるシェアハウスまで私の荷物を持って行き、そこから引っ越し先まで知り合いの方の車で向かうことになっていた。シェアハウスまでは電車で行こうと思っていたのだが少し前私と夫と一緒にシェアハウスに住んでいた方が車で実家まで迎えに来てくださった。この日はしょぼい喫茶店で結婚を祝う会を夜にやる予定だったのだが、台風だったため中止にした。シェアハウスに行き、昨日1日考えた結果、やはり当初の予定通り6日から一緒に住むことにしたいと夫に伝えた。この日は知り合いの方の車で夫だけ新居に行き、私の荷物も運んでくれた。夕方ごろ実家に帰ると、台風の中外に行ったのはおかしい。どうして外に出かけたのかと両親に問いただされたため、仕方なく彼氏が出来たと言った。シェアハウスに一緒に住んでいた人でイベント系の仕事をしていると説明したらそんな意味がわからない人辞めなさいと言われた。

7月29日、浅草で夫とデートしたみたいだが何をしたのか覚えていない笑。特に何もしなかったと思う。1人だと色々と不安になってしまうのでなるべく2人で居たかったのだと思う。この日は花火大会があったので家族と花火を見た。子供の頃から見ていた花火大会も見るのはこれで最後になるんだなあとか思った。

7月30日、父の会社に保険のことで電話した。父には内緒で扶養を抜けたいと言った。電話した感じ大丈夫そうだった。それと郵便局に行って転居届を提出した。8月3日から転送してくれるとのことだった。明日からの家族旅行の準備もした。

7月31日、家族旅行1日目。夫との新生活のことが不安すぎて気が動転しており、生まれて初めて携帯電話を紛失した。幸いなことに忘れた場所がほとんど人が来ないパーキングエリアだったため、携帯電話自体はすぐに回収された。旅行中だったため3日の午前中に自宅に届けて欲しいと言ったが、日時指定が出来るか分からないと言われた。ここでまた絶望した。3日の午前中に届かないと、午後には家を出てしまうので携帯電話が回収出来ない。

8月1日、2日 携帯電話と新生活のことで旅行どころではなかった。気が動転したままなんとか旅行をやり過ごしたという感じだ。機嫌もあまり良くなく、家族には非常に申し訳なかった。

8月3日、当初の予定では夫と私のADHDの病院に行った後にもう大阪に向けて出発してしまう予定だった。ここで人生最大の修羅場が訪れることになろうとは…

人生最大の修羅場

8月3日 その日はADHDの治療のために通っている病院の診察日だった。

携帯電話のことなのだが、奇跡的に家を出る前に私の元に帰ってきた。奇跡としか言いようがない。待ち合わせ場所は決めていたのだが、私が勘違いしていたため、その携帯電話が無ければ夫と待ち合わせ場所で会うことすら出来なかった。

私は夫と駅前で待ち合わせて一緒に病院のビルのエレベーターに乗った。
そこに突然母親がエレベーターの中に入ってきた。頭の中が真っ白になった。夫はもちろんその人が誰か分からない。頭が真っ白なま病院に入るとそこに父もいた。もうなにがなんだか…。

ちなみにこの状況を説明しておくと、先程の保健証の件が影響している。保健証の件は父親の会社に電話した時点ではなんとかなると思ったのだが、結局一企業が親に黙って扶養を抜けるなどという異常ムーブを許すはずもなく、電話を取った女性の事務員が父親に娘さんからこんな内容の電話がかかって来ましたと報告してしまったらしい。
そして私が病院に行くために家を出るとき、旅行をするための多きなバックを持って出るのを家にいた母親に見つかってしまい、不審に思った母親が父親に電話。そこで父親から母親に私の電話の内容が伝えられ、母親はこのままでは私と永遠に会えなくなってしまうと瞬時に悟り、慌てて追いかけて来て、父親もこの一大事に会社で仕事をしている場合ではないということで突如会社を早退し、病院に来たというわけだ。確かに私は両親と永遠ではないにしろ、しばらくは会わない予定だったので母親の勘は正しい。つくづく母親って怖いなあ、なんでも分かってしまうなあと思った。

夫は私の両親だと察した時に「お付き合いさせていただいている○○です」と名乗った。両親の反応は「はあ…」(戸惑い)という感じだった。
診察を待っている間、父親が私に「本当に彼と結婚したいと思っているの」と聞いてきた。私は「うん。」と答えた。もう既に入籍していたのだが笑。

診察室には私と両親の3人で入った。両親は「今、結婚したいと言っている彼氏が来ているんですよ」と先生に言っていた。先生はここは治療に来ている病院で治療以外のことは何も出来ないので4人で喫茶店でも言って話して来てください。戻ったら声をかけてください。と言った。

4人で喫茶店で話している時は地獄のような時間だった。最初は両親は結婚していることは知らず、付き合っていて結婚したいと思っているぐらいに思っていた。
唐突に母が「まさか入籍はしていないよね?」と質問してきた。両親から逃げることばかり考えて生きてきた私はこの局面になっても最後まではぐらかそうと思った。しかし、夫が「はい、もう入籍しました。」と言った。私は目の前が真っ暗になった。両親も真っ暗になったと思う。両親の「入籍したあああ?!」が店内に鳴り響いた。その後私の父親はかなり厳しい言葉を浴びせてきた。「結婚しちゃったって… そんなことして許されると思った?」「結婚なんてしたって1つも良いことはない」「これからお付き合いしたいならさせてあげようと思っていたけど結婚しちゃったら話が別だよ」など。要するに絶対に認めない、許さないという感じだ。母親は気が動転してしまったのか私の悪口を矢継ぎ早に言い始めた。「この子は本当に何も出来ない子なんですよ」「通院にお金がかかるし」「ずっーと寝てるし」などなど。あまりのdisり様に私は夫が私の事も私の母の事も嫌いになってしまうのではないかとヒヤヒヤした。それでも夫は「まなさんのことを真剣に守りたいと思っています。」と言ってくれた。それに対して両親は「あなたはそもそもこんなに大事に育てて来て実家が嫌ってことがおかしいと思いませんか?」「この子の我慢がないだけなんですよ」「まなは逃げグセがあって嫌になるとすぐ逃げるんですよ」などと言い始めた。夫は真剣な様子で「そんなことないです」「僕はまなさんを信じています」と言ってくれた(泣)。 両親はそのうち裏切られますよみたいな感じだった。結局話は平行線を辿ったため病院に戻ることになった。2時間くらい話していた。

病院は結構混んでいたため1時間半くらい待たされた。絶望の時間だった。私はもうここの先生には呆れられて見放されて治療終了になり、両親からも見放されて一生会えないかもしれないなどと考えていた。4人全員で俯いて一言も話さなかった。診察室に入って一言目の母の言葉が忘れられない。「もう入籍しちゃったんだそうです…」(呆れと絶望)。額に手を当てて本当に絶望しながら言っていた。それを聞いた先生は予想通りだったのかあまり驚いた様子もなく、色々と質問して来た。ほとんど何も答えられなかった。情けない。その日はもう実家を出て夫と一緒に住む家に行こうとしていた。両親は連れ戻す気だったと思うが先生はそれはもう行っちゃいなさいと言った。
先生が今の状況を冷静に分析し始め、これから私がどうしていくべきかと私の両親がどうやって私を支えていくべきかを話し始めた。そして1ヶ月に1度夫と私の両親が会って私の様子を伝え合うということで話がまとまった。本当によくまとまったな笑。奇跡としか言いようがない。私が1年間治療を真面目にやってきて症状がだいぶ改善されたため両親が先生を信頼していたのが大きかったらしい。先生が真面目に私のことと私の将来、そして両親のことを考えてくれた結果だと思う。それにしてもあまりにもうまく話がまとまりすぎだ。両親と別れてからしばらく夫と2人でぽかーんとしていた笑。

やはり、入籍してしまっていたことが大きいのだと思う。入籍していなかったら私は実家に連れ戻されて外に行くことさえ制限されていただろう。夫がまっすぐに「入籍しました。」と言ってくれたおかげだ。あの時は目の前が真っ暗になったけど。夫は突然会ってしまった私の両親に対しても真摯に向き合おうとしていた。本当に偉い。私とは比べものにならない。

10時からの診察だったのに終わったら17時くらいになっていた。お腹が空いたので駅の中のチェーン店でうどんを一緒に食べた。その後、無事に深夜に大阪に向けて出発しましたとさ。めでたしめでたし。

というか、本当にめでたい。奇跡的に何もかも上手くいった。起こった出来事1つ1つ、どれが無くても新生活は上手く機能しなかったと思う。奇跡としか言いようがない。全てが上手くいってしまった。そして上手くいったまま2ヶ月が過ぎようとしている。本当に奇跡でしかない。神様ありがとう、、、私は幸せです。

人と向き合うということ

最近、私は人生で初めて人と向き合うということをしているなあと思う。普通の人は普通に人と向き合って生きているのだろうけど、私は母親がよくヒステリーを起こすこともあり、回避性パーソナリティー障害のような状態になっている。要するに、相手が否定的な感情を表してきたり取り乱したりしているとそれに向き合うことをせずにめんどくさいと思って向き合うことを諦めてしまうということだ。普通の人は他人が泣いたり喚いたりしていると「どうしたの?」と声をかけたり解決策を見つけてあげようとしたりする。しかしヒステリーは対応してもどうにもならないため、そのような行動をするのを諦めて相手とは距離を置く。私は他人と関わる中で少しでもめんどくさい問題が発生すると、関係を一切断ち切って生きてきた。そして他人と真剣に向き合うことをしないまま今まで生きてきてしまった。

また、私はADHDの特徴で自分の感情を表現することもすごく苦手だ。幼稚園の頃くらいから先生に「泣いているだけじゃ何も伝わらないよ」と言われていた記憶がある。何か辛いことや我慢できないことがあって泣いているのだが、それを言語化することが極端に苦手で、説明することのないまま終わってしまう。周りの人からは変な子だと思われて終わってしまう。そんな感じだった。自分の気持ちを表現出来ないでいるとその内自分が何を感じているのかも分からなくなってしまう。感想とかを聞かれると途端に反応に困ってしまう。ずっとそんな感じで生きづらいなあと思いながら生きてきた。

結婚してからも夫の前でいきなり泣き出すことが何度かあった。自分の中では色々な感情が渦巻いた結果泣いてしまっているのだが、夫から感情は見えないのでいきなり泣き始めたと感じられてしまう。何で泣いているのか全く分からないため夫は反応に困ってしまう。そんなことが何度かあり、このままでは夫を困らせたまま終わってしまうと思い、なんとか自分の感情を捻り出さなくてはと思うようになった。今日も色々と辛いことが重なって泣き始めてしまったのだが、自分が何を辛いと思っているのか必死に考えた。頭の中でそれを言語化して、何度もシュミレーションした。そんなことをしたことは今まで一度もなく、他人に理解されなくてもいいや、変な子だと思われたら関係を断とうと思って生きてきた。それをしないのは夫と関係を切ることは絶対したくないし、大切に思っているからだと思う。そして拙くはあるけれどなんとか気持ちを表現した結果、夫に気持ちが伝わり、日々夫が何を考えたり感じたりしているのかも知ることができ、私の気持ちも落ち着いた。結婚して初めて他人の感情に真剣に向き合おうと思ったし、自分の感情とも真剣に向き合い始めることが出来た。これは私にとっては大きな成長ではないかなと思う。自分の感情と向き合うことも他人の感情と向き合うことも簡単ではないし、避けて通れるなら避けて通りたい道なのだと思う。実際私はずっと避けて通ってきてしまった。辛く、大変なことではあるけれど関係を保っていくためには必要なことだと思うし、大切な夫との関係を保つために頑張っていこうと思う。

結婚して大人になるということ

この間実家に帰った時、母親に少し大人になったねと言われた。

やらなければいけないことを先延ばしにする傾向がかなり強かったのだが、結婚してからはそれが少し良くなった。2人で生活していて、やらなければいけないことを先延ばしにすると生活が破綻してしまうという状況になったのでやるようになったという感じなのかなと思う。実家にいるときは最悪、親がやってくれたし、基本的に面倒ごとは親任せだったなと思う。

今も夫に助けられている部分は多分にあるが、自分で出来ることも多くなった。電話をかけるのがすごく苦手だったのだが、夫は困ったことがあると何でもすぐに電話するタイプの人で、困っている人には意外とみんな優しいよと言われ、電話するのもすぐに出来るようになった。また、どこかに行かなければいけないけれどめんどくさいと思っていると、夫が行こうと言って車を出してくれるので、用事を先延ばしにすることもあまりなくなった。書いているとほとんど夫のおかげということが分かった笑。しっかりしている夫に支えられて私も日々成長しているんだなと思う。

日々の家事も意外とやることが多い。私は過眠の傾向があり、大体昼頃に起きるので一日がすごく短い。朝から起きているとスムーズに家事をこなせたりするのだが、毎日昼頃に起きる生活だと掃除、片付けなどが放ったらかしになり、家が崩壊し始める。私があんまり片付けをしていないと、夫がやってくれるのでありがたいのだが、夫は掃除はあまりしないので埃や汚れが溜まっていく。昨日はお風呂の排水溝に汚れがたまり、お湯が流れなくなってしまった笑。排水溝の仕組みをよく理解しておらず、掃除が出来なかったのが原因なのだが、蓋をとって排水溝をのぞいてみるとなるほど、めちゃくちゃ汚れていた。夜遅かったので明日掃除しようと思い、昨日は最低限お湯が流れる状態にして寝た。

そして今日、なぜか15時まで寝ていた笑。雨が降っていたので外に行くことが出来ず、家で調理して食べた。食べながら家を見渡していると、家が崩壊しかけていて、かなり居心地が悪い状態だった。調理する前になんか居心地悪いなー、今日は家に居たくないなーと思っていたのだが、家が崩壊しかけていたからだった。今日は夫が東京に出かけており、一日中家にいない日だったので、掃除の絶好のチャンスだった。1時間かけて家中を入念に掃除した。ついでに片付けもした。掃除していると埃がすごかったので家中の空気の入れ替えもした。排水溝の掃除も入念にした。大変だったが、家がかなりスッキリしていい感じだ。今まではあまり意識しておらず、気づいたらやるという感じだったのだが、1週間に1度は家中を掃除しなきゃなという感じだ。

こういう風に家が崩壊する前に片付け、掃除ができるようになったというのも成長だなと感じる。実家にいると時はしょっちゅう部屋が崩壊していたし、やる気が起きないと崩壊したまま何日も放っておいたりした。困るのは自分だけだったし、崩壊していても意外と気にならなかったりした。今は崩壊しかけていると放っておくなんてことは絶対出来ないし、寝ている場合じゃない、何としてもやらなくてはと思う。片付け、掃除は意外と手順が多くて大変なのだが、とりあえず1つ1つやっていこうと思えるようになった。私の祖母がよく言っていた言葉で、「やらなければいけないことを数えても辛くなるだけで何の意味もないから、目の前のことを1つ1つ片付けていけ」という言葉があり、母親も教訓にしていたが、私も教訓にしてやっていこうと思う。

実家に帰り、母親が私の成長ぶりに驚いていたことは結構嬉しかった。母親は私のことを本当に何もできない子供だと思っているので、その認識をどんどん改めていきたいと思う。

私は見た目が幼く見え、高校生に間違われることも結構あり、結婚指輪をして電車に乗っていると、他人に2度見されたり、驚いた顔で見られることが多い。そのことを知り合いの方に話した時に、私は「周りの人に子供が結婚していると思われている」と言ったことがある。するとその知り合いの方は「大人が結婚するんじゃない、結婚して大人になるんだよ。」と仰っていた。その時は意味がよく分からなかったが、今は本当にその通りだなと思う。結婚は人を成長させてくれる。私も何も出来なかった20歳の女の子からどんどん成長していきたい。

 

結婚した理由

風邪を引いてダウンしていたので全然ブログを更新できていなかった。

 

今回は結婚した理由について書こうと思う。

 

第1の理由 

好きだから

これに尽きる。

補足でどこが好きか書いておくと人間性だ。夫には邪気が全くない。ここでいう邪気とは何かと言うと、他人に対しての陥れてやろうとか、バカにしてやろうとか、出し抜いてやろうとか、優位に立ってやろうとか、支配してやろうとか、そういう感情だ。明らかに邪気に満ちている人もそんなにいないけれど、少なからず人間には邪気が備わっていると思う。ところが夫からはそういうものが全く感じられない。

あとは年の割にとてもしっかりしているし、度胸も勇気もある。人間ができているなあと思う。

 

第2の理由

一緒に生活していけそうだから

私たちはシェアハウスに一緒に住んでいた時期があるのでお互いがどのような生活をしているかを理解できていた。夫の前では素の自分で居ることができたし、一緒にいると楽しい。それに他の人には言えないことでもなぜか夫には話すことができたし、受け入れてくれた。また、私は発達障害で病院に通っており、小学4年生の時からずっと不登校だったが、夫はそういうことにも理解があった。

 

第3の理由

タイミング

ここでやっとタイミングが来る。確かにタイミングは重要だったが、上の2つの理由がなければいくらタイミングが良かったからといって結婚はしていない。

 

まあそんな感じでお互い相手のことが好きだったのが1番の理由だ。

なぜこんなことを書いたのかというと、私が夫のことを好きなことがあんまり伝わっていないかなと思ったので・・・

 

 

 

 

2日間病んだ話

9月15日、16日はずーっと病んでいた。なんか色々と辛くなってきてしまって何もやる気が起きなかった。私は夫に何かしてあげられているのだろうかと思うと分からないし、むしろ迷惑ばかりかけている気がした。2週間に1回はしんどい時が来るなあという感じだ。

夫はしんどいと言うと話を聞いてくれた。色々な話をした。私はあんまり大したことはしていないと思うのだが、夫はいつも家事をやってくれてありがとうと言ってくれる。辛いことはやらなくていいし、そのままでいいんだよと言ってくれた。

結果的に私が幸せでいることが夫の幸せだという当たり前のことが分かった。辛い時はなぜか当たり前のことに気づけないで辛いなあと思ってしまう。私は私のやるべきことをやるだけだなあと思った。2日間何も出来なかったけれど明日からは頑張ろうと思う。頑張り過ぎない程度に。

久しぶりに実家に帰った

9月13日、15時まで寝ていた。夫は仕事に行っていた。今日は私の母の誕生日で次の日に通院で母と会う予定があったので、便箋と紙袋を買いに買い物に出かけた。帰ってから母に手紙を書いた。18時ごろ夫が帰って来た。帰りが早かったので喜んでいたら疲れていたらしくすぐに寝てしまった。その間に掃除をしたりお風呂を洗ったりしていた。夫が起きてから夜ご飯を食べた。夫が私のスマホのカメラロールを見たいと言い出したので一緒に見た。恥ずかしくて冷や汗をかいた笑。

9月14日、通院の日だ。7時半に起床。夫に車で駅まで送ってもらった。平日の通勤時間の東京行きの電車だったのでかなり混んでおり1時間以上立ちっぱなしだった。早めに行き、誕生日プレゼントに花を買い、病院へ。今日は空いていてすぐに呼ばれた。新生活はストレスがなく順調だという話をした。先生も両親も1ヶ月くらいで辛くなって実家に帰ってくると思っていたみたいだ笑。先生には予想に反して上手くいっているねと言われた。また、夫と結婚できたのはこの子にしては上出来だと言われた。夫の評価が高いのは嬉しいなあ。母はまだ実家の何がそんなにストレスなのかと言っているが先生が上手く返してくれて安心した。やっぱり先生最強だ。同じADHDなので私の気持ちがよく分かっている。先生は私を結構評価しており、自分が治療して発達障害界のバリキャリに育てる予定だったのだが、先生の描いた道を大きく逸れている笑。それでも呆れずちゃんと向き合ってくれるのでとてもありがたい。何でも相談できる関係になっている。そう考えると私は本当に周りの人に恵まれているなあと思う。私はダメダメだけど周りの支えてくれる人のおかげで何とかなっている。夫はその最たるものだ。本当にありがたい。

病院が終わって、すぐに誕生日プレゼントを渡した。私からと夫からの2つのプレゼントを渡した。とても喜んでくれた。頑張って準備して良かったなあと思う。その後は両親とお昼ご飯を食べ、地元の美容院に行った。東京に行くのでついでだ。私は1年に1度ストレートパーマをかけており、ちょうどその時期だったのでやってもらった。意外と時間がかかって3時間くらいかかってしまった。その後は実家に寄った。最近寒くなってきたので秋物の洋服を取りにいった。今日は誕生日プレゼントをたくさんと手紙まであげたので母は上機嫌だった。父は私と会う時はいつも上機嫌だ笑。あんみつとかケーキとかを食べさせてもらった。帰りに駅まで送ると言われたので送ってもらった。行きに電車が混んでいて座れなかった話をしたら帰りも混んでいるだろうからとグリーン券を買ってくれた。両親は実家にいる時より、物理的に距離を置いて、たまに会う方が会った時に優しいし、ストレスがなくて良いなと思った。話すこともたくさんあるし。今、両親と仲良くやれているのは奇跡だけど、出来ればこれからも仲良くしていきたいなと思っている。

最寄り駅まで夫が迎えにきてくれて、夜ご飯を食べにお好み焼き屋さんに行った。お好み焼き食べ放題のコースを注文した。お好み焼ももんじゃ焼きも美味しかった。今日も色々あって疲れた。明日は夕方まで寝てるかな笑。