安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

里帰り前日

最近やたらと去年の今頃のことを思い出す。というか、急に寒くなり、すっかり秋になったこの気候が去年のことを思い出させているのだと思う。今の家に引っ越し、生活が落ち着いてきたのがちょうど去年の今頃だった。あの頃はただひたすらに楽しかったなあと思う。実家から解放され、新生活も落ち着いてきた私は有頂天になっていた。辛いことが無いわけではなかったけど、毎日幸せだったなあと思う。今が幸せじゃないみたいになってしまったが、そういうわけではない。ただ、あの頃とは心持ちがだいぶ変わった。

私は現在妊娠9ヶ月で、もうそろそろ子どもが生まれる。とても嬉しいことなのだが、最近はこんな私で本当に子どもを育てていけるのかという不安の方が大きい。元々不安がないわけではなかったけど、出産が近付くにつれて不安は増大するばかりだ。人1人の責任を一生背負って生きていかなければいけないというプレッシャーも大きい。親が責任を取らなければいけないのは子どもが20歳になるまでと言われたりもするが、親と子の関係というのは一生続く。私は22歳になったが、里帰り出産をすることを決めたため、親にまた迷惑をかけてしまうことになった。一応実家は出たものの、親との関係というものは一生続いていくものなんだなと感じている。私もまたその親という立場になるのだ。それ程重大な責任を負うことまで想像して妊娠したかというと、正直そこまで考えてはいなかったなと思う。ただ、世の中の親にそこまで考えてから出産を決意したのかと問えば、大半の人はそうではないのだろう。というか、そこまで深刻に考えたら出産なんて決断できないはずだ。最近はそういうことをグルグル考えてしまう。マタニティブルーなだけかもしれないが。

結婚を決意した時も不安で仕方がなかったなあと思い返している。諸事情あって入籍してからも1週間程実家にいたのだが、あの時はとてつもなく嫌だったはずの実家が、なぜだがとても良い場所のように思えて仕方なかった。とりあえず実家にいれば生きていくことは出来たからだと思う。新生活がどうなるか想像がつかなくて、今までと全く違う環境でやっていけるのかが不安で仕方なかった。人間は想像のつかないことにとてつもない恐怖を感じるようだ。ただ、新生活は意外となんとかなったし、とても楽しいものとなった。それは本当に多くの人の支えがあってこそだが、今も支えとなってくれる人は周りにたくさんいる。夫の会社が成長したことで、むしろ支えになってくれる人は大幅に増えた。今は不安とプレッシャーで押しつぶされそうだが、なんとかなるといいなと思っている。というか、なんとかするしかないのだが。

この記事は予約投稿にすることにした。夫が大好きな予約投稿笑。ちょうど1年経てば記事が公開される。この記事を書いた次の日に私は里帰り出産するために実家に帰る。里帰りを前に今日は家を大掃除した。1年後の自分は何を考えているだろうか。そしてこの記事を見て何を思うのだろうか。1年後なんて全く想像が出来ない。去年の今頃も1年後にはそろそろ子どもが生まれることなど想像もしていなかった。

1年後の自分は今幸せだと感じられていますか? 子どもをかわいいと思えていますか?

育児に必死すぎて子どもをあんまりかわいいと思うことが出来ていなかったら、この記事をみて精神が崩壊してしまいそうだ。

ただ、今は、1年後の自分がかわいい子どもと毎日幸せに生活出来ていることを願ってやまない。

私が経験した陣痛の痛みと里帰り出産を通じて痛感した母の愛

だいぶ時間が経ってしまったが、私の出産について書いておこうと思う。

 

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予定日を6日過ぎた11月某日の11時ごろ

おしるしがあってとりあえず病院に電話するも、「陣痛も来てないようですし、これからまだまだ長いんで来なくていいですよ」と一蹴される。

13時ごろ

10分間隔くらいの陣痛が始まる。初めての出産で何もわからず不安なので、また病院に電話するも、また来なくていいと一蹴される。「さっきも電話してきましたよね?」と嫌味を言われ、大袈裟な人間だと思われる。

16時ごろ

陣痛がちょうど10分間隔になる。またも病院に電話。この時電話に出てくれた助産師さんは優しい人で、「まだ時間はかかると思いますし、一回家に帰ることになるかもしれませんが、心配なら来てもいいですよ」と言ってくれた。実家だったので、母親が「病院に行く前にお風呂に入ってご飯を食べた方が良い」と言い、お風呂を洗って、急ごしらえで夜ご飯を作ってくれた。シャワーを浴び、夜ご飯を食べ、病院に行く準備は満タンだった。出かけていた弟と兄も家に帰って来てご飯を食べていた。

19時ごろ

陣痛が10分間隔のままだったが、病院に電話。するとこの時に電話に出た助産師は「まだまだ出産まで時間がかかるから家にいた方がいいですよ」と言う。母親にいつになったら病院に行って良いのか聞けと言われたので聞いてみると、「5分間隔になったら来てください」と言われた。普通は10分間隔になったら病院に行くことになっているので、この病院は少しおかしかったのかもしれない。家にいろと言われたので、不満ながらもそうすることにして、お風呂が沸いたので湯船に浸かることにした。出産後は1ヶ月湯船につかれないので、これが終わったら1ヶ月後か…と思いながら浸かった。陣痛は痛みと痛みの間に間隔があり、その間は全く痛くない。それなので、痛みと痛みの間の10分で体を洗った後に一度痛みが来て、それがおさまってから湯船に入った。ちなみに痛みが来ると、ひたすら耐えるしかない。ただし、1回大体20秒から1分で終わる。痛みは、そんなに猛烈に痛い感じではなかった。グーっとお腹が痛くなって、それが少しの間続くという感じだった。

22時ごろになっても陣痛は10分間隔のままだった。両親は病院に電話して病院に行った方が良いと言っていたが、病院の対応があまりにも素っ気なくて、電話をかけるのが苦痛だったので、私はそうする気が起きなかった。家族も夜ご飯やお風呂を終え、母親は「まなちゃんが病院に行かないなら寝ようかな」と言っていた。父親が寝るのがいつも1時くらいなので、そこまで任せるといった感じだった。母親は夜通しの出産になることを見越して、少しでも寝ようとしていたのだと思う。とは言ってもやはりなかなか眠れなかったみたいで、30分から1時間おきに起きては逐一私の状況を確認していた。23時半ごろになってやっと5分間隔の時もちらほら出てきた。しかし、5分間隔の時もあれば12分も間隔が開くこともあって、電話するかどうかの判断に悩んだ。この時間から、起きていた父親に執拗に「電話して病院に行け」と言われる。多分心配してのことだろうと思うが。私は「まだそこまで痛くないし、間隔も10分以上開くこともあるから耐える」と答えて電話しなかった。父親は22時くらいからずっと「電話しろ」しか言わないのだった。父親は頑固な私に流石に呆れた様子で24時頃お風呂に入った。30分してお風呂から上がっても「もういいから、お前は早く電話して病院に行け」しか言わなかった。

日付が変わって午前1時前、5分間隔が増えてきたのと、少し痛みが強くなった感じがしていて、それを父親に話し、「でも全部5分間隔じゃないからまた助産師に家にいろって言われるかもしれない」と言うと、父親に「そんなのもう全部5分間隔になりましたって言えばいいんだよ。もうそろそろ病院にいかないと本当にヤバイぞ。」と言われた。流石の私も病院に電話することを決め、父親に言われた通り「全部5分間隔になりました」と言うと、あっさり「それでは、病院に来てください」と言われた。父親が母親を起こし、私と母親は準備をして、父親がタクシーを捕まえに行った。しかし、もう午前1時だったので、あまり車の通りがなくてタクシーがなかなか捕まらなかった。それでも、わざわざ少し家から離れた交通量の多い大通りまで行って10分くらいで捕まえてきてくれて、実家の前まで来てもらい、両親と私で病院に向かった。病院の夜間入り口は表通りから少し入ったところにあったので、表通りで車を降りて歩いて病院に向かう。歩いている途中で3回くらい陣痛が来て、その度に立ち止まった。痛みが襲ってくると歩くこともできない。やっとの思いで病院の産婦人科に到着した。

薄暗く、狭い分娩室に入って分娩台を見たときに「あー、本当にこれから産むんだなあ。痛いのかなあ。そりゃ痛いだろうな。ここに何時間いるのかな。母親学級では初産だとここから10時間かかるって聞いたな。マジで?ここで10時間?長すぎない?まだあんまり痛くないし間隔空いてるけど、元々体力ないから体力持つかな?あれ、予想してたのと違う。ていうか、予想って何?何も予想してなかったわ、ヤバい」と思った。

分娩室の中には両親は入れてもらえず、私だけ入った。入るとすぐ助産師に「とりあえずこれに着替えてください」と言われたので、それに着替えた。その後はどうすれば良いか分からず、その場に突っ立って助産師が来るのを待っていた。着替えてください以外の指示がなくて困った。とりあえず水分補給しとかないとと思って持ってきたポカリスエットをペットボトルの半分くらい飲んだ。しばらくすると助産師が来て、分娩台に上がって仰向けで寝てくださいと言われたので、従う。NSTのベルトと点滴を付けてもらい、脈を測る機械を指に嵌める。その状態でなぜか助産師からの質問責めが始まる。「ご家族の名前と年齢は?同居ですか?その中に先天性の疾患がある人はいませんか?」などなど。「なんで今聞くんだよ。検診の時聞いとけよ」と思いながら全て丁寧に答える。答えてる最中に陣痛が来て「ウッ」っとなって答えられなくなると、「痛いですよね。(回答は)陣痛終わったらで大丈夫ですよ」と笑顔で言われる。いや、明らかになんかおかしいだろと思った。

そのあと内診をしてもらう。子宮口はもう4㎝まで開いていた。病院まで歩く間に何回も陣痛がきたこともあり、もっと病院に来るのが遅れてたらここまでたどり着けなかったかもしれないと感じた。危なかった。

助産師から、とりあえずここで様子を見て、安定してたら陣痛室に行ってお産が進むのを待ってまた分娩室に戻って出産することになると言われる。「何時ごろになりますか?」と聞くと、「このまま順調に行けば朝には産まれますね」と言われる。「長くても朝までか」とホッとした。

ところで、分娩室に入ってからずっと隣の分娩室から「痛い痛い痛い痛い!!死んじゃう〜!ヤバいヤバいヤバい!もう産まれちゃうー!死ぬ〜!もう助けてー!たーすーけーてぇー!」って絶叫が聞こえてくる。なんとかしてくれ。マジでうるさいしこれから死ぬほど痛くなるんじゃないかと不安になるんだが。早く隣の人の出産終わってくれ。もう担当助産師も受け答えテキトーになってんじゃん。あー、もうとにかくうるさい。

助産師の質問責めが終わると、一緒について来てくれた私の母親が分娩室に戻ってくる。父親は次の日の9時から仕事があったので、この時に帰った。御年64歳の父親、帰っても5時間も寝れないじゃん…大丈夫か…と勝手に心配していた。母親は部屋に入ってくるなり「隣の人?めっちゃうるさいね。どうにかなんないのかしら。あんなに痛くないから大丈夫だからね。隣の人は気が動転しちゃってるだけだと思うから」と言われる。やっぱそれ気になってしょうがないよね。もう本当に早く産まれてくれないかな。と思いながら母親と話をする。陣痛はまあまあ痛かったけど、陣痛と陣痛の間は全く痛くないので、陣痛が来てる時以外は母親とずっと何かを話していた。母親も3人出産していてその辺は熟知しているので、痛みがある間は静かにしていてくれて、痛みが引いて私がまた話し出すとそれに合わせて話をしてくれた。話していると気が紛れて良かった。

母親が部屋に戻ってきて落ち着いてから私の夫に電話した。後から夫に言われたのだが、いくらなんて連絡が遅すぎる。13時から陣痛が始まり、何度も病院に電話して1時30分には病院に着いたのに、その間何も夫に連絡してなかった。私の母親は「娘の出産って感じだから私の夫の事はどうでも良い」と里帰り中ずっと話していて、この時夫に連絡するのも渋々だった。しかも電話したのが夜中の2時半だったので、まさか夫が起きているとは思ってなかったみたいで、「なんか起きてたよ。随分夜遅くまで起きてるんだね、あの人」とか言っていた。母親にとっては私の夫が息子の誕生の瞬間に間に合わなくても本当にどうでも良かったらしい。私はもともと立ち会いは望んでいなかったし、私も私で夫が誕生の瞬間にいなくても別に良いだろうと思っていた。私が出産するのに、夫が立ち会ったからといって楽になるわけでもないと分かっていたし、苦しんでいる姿を見られたくなかったので、立ち会いは希望せず、夫もそれに納得していたので、立ち会わないなら産まれる瞬間に病院にいてもいなくても大して変わらないだろうと思っていた。夫はそんな事なかったみたいだが。夜中だったので電車がなく、車で飛ばしてくるとのことで、到着まで2時間かかるとのことだった。

病院に着いてから、段々と陣痛の間隔が短くなってきた。陣痛はそれほど痛いという感じではないのだが、5分後にまた痛みが来て30秒から1分ほど続くことが辛くなってきた。この頃には規則的に陣痛が来るようになってから12時間も経過していたのだ。2時半ごろに助産師が内診に来る。もう子宮口は7㎝開いてるとのことで、進みが随分早く、このままだと2時間後には産まれると言われた。思わず助産師に「本当ですか!?」と聞いてしまうほど嬉しかった。そんなことを言うほどの余裕がまだあった。助産師も「パパ(私の夫)、間に合うかしらね」と言っていた。よく覚えてないけどこのへんで隣の部屋の赤ちゃんが産まれた気がする。少し静かになってよかったよかった。

ただ、ここからが結構大変だった。3時ごろから陣痛の時に痛みを感じるのではなく、いきみたくなっていまう状態になってしまった。この頃には子宮口は全開になったのだが、息子が全然下に降りていないという私には全く訳のわからない事態に陥った。普通は赤ちゃんが下に降りてくると同時に段々子宮口が開いていくものだと思うのだが…そして普通は子宮口が全開になったらあとはいきんで赤ちゃんを出すだけなのだが、私は息子が下に降りてきてないからいきんではダメだと言われる。

なんとかしていきまないようにしようとして、最初の方はあまりいきまないでいられたのだが、段々と波が大きくなってしまって、どうしてもいきんでしまうようになった。様子を見に来た助産師に「どうしてもいきんじゃうんです…」と言ったら、「じゃあいきんでもいいから呼吸をちゃんとして」と言われた。そんな私の状態を見た助産師がいきみ逃しをやってくれた。しかし、助産師も忙しいらしく、ずっとやっているわけにはいかない。夫もまだ到着していない状態で、部屋に私の母親しかいなかったので、あろうことか私の母親にそれを頼んだ。母親も言われたらやるしかなくてやってくれたが、私は母親にそんなことして欲しくなかった。これは完全に私の気持ちなのだが、親族には誰にも立ち会ってもらわず、誰の手も借りずに出産したかったのだ。苦しんでいるところを見られるのが嫌という気持ちもあるが、出産を親族の誰かに見られるのがなんとなく嫌だったし、出産は誰かに見せるようなものでもないと私は思っていた。母親も出産に立ち会うことの意味がよくわからないという感じで、立ち会いはしないと決めていたので、本当だったらこの時にはもう部屋を出ていなければならなかったのだが、お産の進みが早すぎて完全に部屋を出るタイミングを失っていた。だからといって、もう「母親に部屋から出て行って欲しいです」と言う余裕も私にはもうなかった。そしていきみ逃しをやっても大した効果はなかった。

私はいきむ時に呼吸を止めてしまうらしく、そうすることで母体に酸素がいかなくなり、胎児の呼吸もかなり苦しくなると言われた。そんなことは言われないでも分かっていた。なぜなら、私がいきむとNSTから「ゴオオオ」とすごい音がなるからだ。NSTは胎児の心臓の音を聞く機械のようで、普通は「ドッドッドッドッ」と規則正しい呼吸音がするのだが、私がいきむと途端に「ゴオオオオオオ」というすごい音になってしまう。私自身も苦しかったが、その音を聞くのがとてつもなく辛かった。ついに私は酸素マスクをつけられる。少しでも酸素が私の体に行くように。私は人生で初めて酸素マスクをつけた。

酸素マスクを装着された頃、助産師が何回も別の場所にいる医者に向かって「赤ちゃん全然降りてこないですし、お母さんも苦しそうなので手術で引っ張り出そうと思うのですが、来てくださいませんか」と言っていたのだが、医者は「本当にもうダメそうなの?」「どういう状況?」と聞き返していて、なかなか来てくれなかった。そういえば私は病院に着いてから医者に一度も会っていなかった。全て助産師だけでここまでやったのだ。これは普通のことなのだろうか?私にはよく分からない。

4時ごろ、夫が病院に到着する。到着してすぐに分娩室に入ってきたが、酸素マスクをつけてかなり苦しそうな私を見てかなり引いていた。もうドン引きもいいところだった。もともと立ち会いはしないと決めていたので、もうそろそろ産まれそうということを聞いた夫は「僕外にいていいですか?」と言ってすぐに部屋を出て行った。ここでやっと母親も部屋を出ていくことができた。

そのあとすぐに手術をするために医者が颯爽と現れる。部屋にに入ってきて、すぐに手術を始めようとする医者に、助産師が焦って「ご家族の立ち会いは?立ち会いするか聞かないと」と言ったのだが、医者は「無理無理無理無理。そんなの無理。早く産ませないと。そんなのどうでも良いから」と一蹴していた。まあそれでよかったのだが。この緊迫した状況でも医者にそれを聞くってことは、立ち会いさせないとよっぽどキレる人間がいるんだろうなと思った。さらに医者は「助産師は?え、2人しかいないの?!3人欲しいんだけどな…無理?じゃあしょうがないか…」と私に思いっきり聞こえるように言っていた。

結局助産師が2人しかいないまま手術が始まり、息子は下の方に引っ張られた。そして人工的な破水をしたあと助産師に「思いっきりいきんでください!」と言われたので、「よっしゃあ!やっとこの時が来た!!」と思って思い切りいきむと、「上手上手!はい、もう一回いきんで!」と言われてのでタイミングを合わせていきむと「ウゥ…」という呻き声が漏れた。助産師さんがすかさず「痛いよねえ…!あともう少し!頑張れ!」「もう一回いきんで!」と言うのでもう一回いきむと、めでたく息子が誕生した。時刻は4時34分、私自身は一度も叫ばないほとんど無言の出産だった。多分こんなに静かに出産する人はかなり珍しいのではないかと思う。

「おめでとうございます!」と言われて息子が私の隣に運ばれてきて、息子を初めて息子の顔を見た瞬間に涙がこぼれた。何を思ったとかではなく、気がついたら自然と泣いていた。それを見た医者が虚をつかれたような顔をしていたのをよく覚えている。

そのあとすぐに息子は身長や体重を測定したり検査をするために連れて行かれてしまった。息子も母親も夫もいないまま会陰縫合をした。「なんで産んだ本人が息子に会えないんだよ…おかしいだろ…」と思っていた。何もすることがないのでずっと時計を見ていたのだが、一向に終わらず、結局40分も麻酔なしでずっと縫合していた。これは結構痛かった。医者には「引っ張り出したけど、私が来た時にはもう結構降りてきてたからほとんで自分で産んだようなもんだよ」とか、「次も下から産めるからね」という謎の慰めを受けた。(医者は中年の男性)そして、長きにわたる手術を終えた医者はまた次の手術へ向かって行った…

会陰縫合が終わると夫も母親も息子も部屋に来て、2時間安静にするように言われた。「出産ってなかなか終わらないものなんだな…」と思っていたらちょうど日が昇って来て朝になった。母親が大きなあくびをしながら「私徹夜したの人生で初めてだな」と言って笑った。私は「母は強しとはこのことだな」と思った。

ちなみに隣の部屋で絶叫していた女性は、金髪のヤンキーで、夫も柄の悪いヤンキーといった感じの見た目だった。しかも2人目の出産だった。2人目でもあんなに余裕のないものなのか……と思った。入院中に私と一緒に受講する予定だった沐浴指導の時間には5分遅れたため、助産師が部屋まで呼びにいったのだが、部屋に来たのはさらにその10分後で、「完全に忘れてた(笑)」と悪びれることなく言い放った。1人育てていて余裕なのか、毎朝バッチリ化粧をしており、いろんな意味で「すげえな、こいつ」と思ったが悪い人ではなさそうだった。

 

おもしろおかしく書いてしまったが、私は陣痛自体はあまり痛くなかった。 叫んでしまうとか取り乱すとかそういうことはなかった。テレビドラマなどでよく見るあんな壮絶なものでは決してなかった。私は痛みというより、いきみたくなってしまう感じになってからが結構辛かった。呼吸もいきみ逃しも上手に出来なくて苦しかったし、息子の苦しそうな呼吸音を聞くのも辛かった。最後の方で医者が到着してからは、意識が朦朧としていたのか、もう何がなんだか分からなくて、ただ医者と助産師が何やら慌ただしくガチャガチャやっているのだけが分かった。もう痛みも何も感じなかった。医者が行った処置については、出産後はしばらく忘れていて、知人に出産の時のことを話した時に「そういえば」と思って色々思い出したのだった。病院に着いてからは3時間で産まれたし、産婦人科の主任の先生にも「スムーズなお産でよかったですね」と言われたので、結構安産だったのだろうと思う。それなのに、出産した直後は「もう一生こんな思いしたくない」と思った。安産でも苦しいものは苦しいのだ。

 

退院して、実家にいる時に母親に「苦しそうなまなちゃんを見てるのがすごく辛くて、もう最後の方は見てられなかったよ」と涙ながらに言われた。その時は「そんな大袈裟なものかな?結構安産だったじゃん」と思ったのだが、母親になった今はその母親の気持ちが少しわかる。私も息子にはあんな苦しい思いさせたくないなと思うようになったのだ。息子は男の子なので出産はしないけど、この先もしかしたら娘ができるかもしれないことを考えて、娘にはあんな苦しい思いして欲しくないなと思った。もし娘ができたら将来その娘が出産するかもしれないと思うと、娘は欲しくないなとまで思ったこともある(笑)母親になると自分も母親の気持ちというものがが少しづつ分かるようになるみたいだ。出産を経験して、母親が私のことを思いやってくれる気持ちは痛いほど分かるようになったのだが、だからと言って母親が苦手なことに変わりはなくて、親子って本当に難しいなと感じる。私も息子に嫌われるかもしれないけど、その時はあまり干渉せずそっとしておこうと思う。

 

里帰り出産を通じて、私は母親の愛を痛いほど感じた。私もそれくらい息子を愛せるといいな。そして私の母親のように愛の与え方と方向が間違えないように気をつけていこう。

妊娠中の睡眠薬の服用の話

私は妊娠中もマイスリー という睡眠薬を毎日飲んでいた。正確に言うと妊娠が発覚してから悪阻が終わるまでの間以外だ。悪阻の時はとにかく横になっていることしか出来ず、ずっと横になっていると2〜3時間連続して眠れる時があり、それを3〜4回繰り返して睡眠時間を確保していた。この感じで睡眠薬なしでも大丈夫なのではないかと思っていたのだが、体調が良くなるとやはり夜寝ることが全く出来なくなってしまい、また睡眠薬を飲み始めた。

服用に当たっては自分で色々とインターネットで調べた。結果は、「絶対に胎児に影響を及ぼさないとは限らないが、絶対に安全だとも言い切れない」というものだった。妊娠中の薬の服用については、絶対に飲んではダメな薬と絶対に安全な薬以外の殆どの薬は基準が曖昧で、医師によって意見が異なったりもする。もしかしたら胎児に影響が及ぶかもしれないから服用を控えるということがほとんどだ。また、医者は万が一胎児に何かしらの影響があることを恐れて妊婦にはあまり薬を出してくれない。もし万が一何かあった時に自分が文句を言われるのか嫌だからだ。風邪薬も、点眼薬でさえ出してもらえないことが多い。一応、安定剤、睡眠・鎮静薬、抗うつ薬を妊娠中に飲むことの危険度を示したページは存在する。これによると、マイスリーは安全な方みたいで、精神科のホームページでは、妊娠中でもマイスリーは問題なく服用できると書かれたページもあった。もちろん、それ以外にも妊娠中のマイスリー服用に関するインターネットの情報を隅から隅までチェックした。結果的に、私は飲んでも大丈夫なのではないかという結論に落ち着いた。妊婦の安定剤、睡眠・鎮静薬、抗うつ薬の服用については、基本的に「治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること」とされている。要するに「胎児を多少危険に晒すとしてもその薬を飲まないと妊婦自身が心身の健康を保っていられない場合にのみ投与しても良い」ということだ。私の場合は、睡眠薬を飲まなくても昼夜逆転するだけで、睡眠時間は確保できるので、身体的には問題がなかった。ただ、夜寝られないことによる精神的な影響がかなり大きかった。抗うつ剤を飲めないとなると、精神的に多大な影響が出る。それを鑑みて、睡眠薬を服用し、抗うつ剤は服用しないという方針を決めた。そして妊娠中も毎日睡眠薬を服用して生活していたが、妊娠9ヶ月の時に急に不安になってまたネットでいろいろ調べていると、『妊娠後期に連続して服用すると赤ちゃんに「新生児薬物離脱症候群」とよばれる状態を引き起こす危険性があります』という情報を見つけた。気になったので「新生児薬物離脱症候群」を調べてみると、赤ちゃんが母体の中にある睡眠薬の影響を受けて、睡眠をした状態で出てきてしまい、産まれた時に呼吸が出来ない状態になるというものだった。早期にきちんとNICUなどで治療すれば、生後2週間以内に普通に呼吸ができるようになるという。この情報を知った私は少し怖くなって、睡眠薬をやめてみることにした。しかし、やはり夜寝ることが出来なくなり、精神的に辛くなってきてしまったので、また服用を開始することにした。この頃ちょうど、ギリギリのタイミングで里帰り出産をすることを決めたのだが、里帰り先の病院が総合病院で、NICUもある病院だったので、もし赤ちゃんに何かあっても助かるだろうと思ったこともあった。服用を再開してから毎日不安な日々を過ごし、分娩室に入っても、産まれてきた赤ちゃんがちゃんと産声を上げてくれるのかずっと気にしていた。

幸いなことに、息子は産まれた瞬間に「オギャアオギャア」という元気な産声を上げた。私はその瞬間にほっとしてしまい、助産師に取り上げられて私の真横に来た息子を見て思わず泣いてしまった。元気に産まれてきてくれて本当によかったなあと思った。その後、息子は身長や体重を測り、何か異常がないか隈なく調べられたが、何も異常は見つからなかった。私は心底安心し、妊娠中も薬を服用せずにはいられなかった私の中で育っても、何も異常がなく元気に産まれてきてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいだった。本当に親孝行な息子だなと思った。

その後、現在に至るまで息子は何の問題もなくすくすくと成長している。産まれた時は2500gに達しない小ささだったが、今は同じ月齢の他の子と比べても大きいくらいになった。少しふっくらしているので、腕も太腿ももちもちで可愛い。

この話はあくまで、私は妊娠中にマイスリーを毎日飲み続けても何も問題がなかったというだけの話だ。日本でもマイスリーの過量服用による急性薬物中毒の母体から出生した児が急性薬物中毒よる無呼吸状態であったという例がある。決して完全に安全であるとは言い切れないので、もし私のように精神疾患睡眠障害がある妊婦の方は、主治医や産婦人科の先生とよく相談した上で服用するかどうかを決定することを勧める。ただ、この経験談が、あくまで一例として、今悩んでいる妊婦さんの参考になれば良いなと思う。

最近ずっと鬱っぽい

タイトルの通り、最近ずっと鬱っぽくなっている。家にいるとわけもなく死にたくなってくる。楽しいと思えることが何もない。お腹は空いても食べたいものがない。自分で用意するのがめんどくさくてお腹が空いてても無視するので1食ぐらいしか食べられていない。それなので体重はどんどん減る。

もちろん、息子にはきちんと食べさせている。食べさせていると言っても、まだ6か月なので1日に1回離乳食をあげて、あとはミルクを欲しがった時にあげているだけだが。息子はモリモリ食べるし飲むので、結構大きめに成長している。顔にも身体にもお肉がたっぷりついていてもちもちで可愛い。産まれた時はかなり小さめだったので、大きく育ってくれて嬉しい限りだ。よく寝るし、よく食べるし、順調に成長していて本当に良い子だなと思う。

しかし、息子が良い子で可愛いからと言って、私の鬱がなくなることはない。出産をすると、自分の中にある矛盾した考えと対峙しなければいけなくなるらしい。人間はみんな自分の中に矛盾した考えを持っている。しかし、自分では考えの一貫性を持たせているつもりで、矛盾した考えを持つ人を批判する。ママ垢などで本音を呟く人に、「それって矛盾してないですか?」とたてつく。確かにママ垢の呟きを見ていると、矛盾しているように思えたり、「サイコパスなのか?」と思うこともある。しかし、それらは紛れもない本音なのである。これは出産して育児した人でなければ絶対に分からないのであろう。矛盾していない人間などいない。いるとすれば人間ではなくロボットだ。でも、人間はなんとか取り繕ってあたかも矛盾してないように装う。それが正しいのだと信じて。しかし、育児をしていると、言動を取り繕う余裕がなくなり、本音を言ってしまう。

育児は本能でやっているとよくいうが、本当にそうだなと感じる。今は考えたことをこんな長ったらしく文章にしているが、息子の笑顔を見ればそんな考えは全て吹っ飛び、「可愛いでしゅね〜🥰お風呂入ってねんねしましょうね〜☺️」とか言ってしまう。そして息子にずっと赤ちゃん言葉で話し続ける。そして、息子が寝て少し経つと、また同じようなことをウジウジ考え続ける。本当に不思議なものだ。

なぜこんなブログを書いたのかというと、私のイメージって早くに結婚して出産して可愛い子どもがいて本まで出版している順風満帆な人生って感じなのかなと思ったからだ。そんなイメージではとてもやりきれない。結婚したから、出産したからといって完全に幸せで辛いことがなんにもなくなるわけはない。私が発達障害で、鬱のよう状態と躁のような状態を早いスパンで繰り返すことにもなんの変わりもない。今は鬱っぽいし体調が悪いしで本当に最悪だ。そういえば出産してからずっとなんとなく体調が悪い。女性は妊娠したら悪阻やお腹が張ったりなどで体調が悪くなり、出産してもしばらくはずっと体調が悪いらしい。いつまで体調が悪いのか分からないが、もう産前の体調には戻れないだろうと言っている方もいる。若いからといって例外ではなく、髪の毛も産後4か月頃からめちゃくちゃに抜けるので、毎日2回はクイックルワイパーをかけている。体調が悪いと結構精神にくるので、体調が悪い限りずっと鬱っぽいのだろう。病院に行ったりカウンセリングを受けたりしたいが、病院を探すのもめんどくさくて出来ない。それ以前に行っても多分何の意味もなくて行くだけ無駄な気がする。今後しばらくはずっと鬱なのだろうな。だからと言って出産しない方が良かったかと言うとそうでもなく、息子はめちゃくちゃ可愛い。人間って本当に矛盾した感情を抱えている生き物なんだなと思う。

話は変わるが、最近、Twitterにいわゆる裏アカというやつを作った。私のTwitterはいつの間にか他人の目を気にして、幸せいっぱいで、文章の構成がおかしくなく、正しい(であろう)日本語を使い、適切な絵文字を使ったツイートしかしなくなってしまっていた。それだと今はめちゃくちゃ辛いので、誰にも見せない裏アカを作った。自分の考えたことをそのまま文字にしてツイートしている。やっていて、「ああ、Twitterって本来こんなものだったな」と感じている。今後も誰かに見せるつもりはない。見られたらヤバいことばかり書いているからだ。

まあ、最近はそんな感じだ。とりあえず辛くても死なないことを目標になんとか生きていこうと思う。

夫に少し育児を任せてみたら育児がグンと楽になった話

夫に育児を任せるということは難しい。世の中の母親の大半がそう感じているのではないだろうか。

なぜそう感じるのかというと、父親の方が育児に関する知識も経験も圧倒的に少ないからだと思う。知識に関しては、母親は子どもが産まれるにあたって赤ちゃんのことを知ろうとするのに対し、父親はあまり知ろうとしない人が多いため、出産前から知識の量の差がある。それに加え、今の日本では母親が育児する時間の方が父親より圧倒的に多いのが一般的なので、知識も経験も母親にどんどん差をつけられていってしまう。そして、それに気づいた時には取り返しのつかないことになっている。

その状態で夫に少しの間育児を任せようとすると、母親が父親に一から全て教えなければいけない。この時点でとてつもなく面倒臭い。というか、親としてのスタートは一緒に切ったはずなのに子どものことを全く知らない夫にまず絶望する。まあそれでも教えなければ永遠に母親が子どもの面倒をみなければならなくなってしまうため、怒りを感じながらも教える。しかし、教えたところで、母親のようにうまくは絶対に出来ない。圧倒的な経験の差があるからだ。それを見て「なんでそんなことも出来ないの!絶対に子どものこと任せられない!」となる。そして結局母親が育児をする。またどんどん育児経験の差が広がる。以下無限ループである。

これを断ち切るにはどうしたら良いのか。私は、父親に育児のことを一通り教え、何日か二人で一緒に育児したり、自分が育児をしているところを見てもらったら、あとは放っておいて勝手に子どもの面倒を見てもらうしかないと思う。

もちろん、それを近くで見ていたら一々口を出したくなってしまうだろう。だから、完全に視界に入らないように放っておく。可愛い子どもにそんなかわいそうなこと出来ないという母親もいるのだろうが、それでは永遠に父親に一人で子どもの面倒を見てもらうことは出来ないと思う。

私は里帰り出産をしたため、夫とは家に帰った時にすでに3週間ほどの育児経験の差があった。それくらいどうってことないと思われるかもしれないが、3週間だけでも「私は育児の基本を全て知っているし経験しているが、夫は何も知らないし経験していない」と信じ込むには十分な期間だった。新生児期の3週間は気が遠くなるほど長いからだ。新生児は夜中もお腹が空いたり不快なことがあるとすぐ起きて泣くので、母親はあまり眠れず、1日の始まりが曖昧なまま1日がスタートし、終わりが感じられないまま、また次の1日がスタートする。普通は夜寝る時に「今日はこれで終わり」ときちんと認識し、睡眠を挟んで、起きた時に「今日がスタートした」と明確に感じるものだが、その終わりと始まりがないだけでとてつもなく長く感じる。毎日これがいつまで続くのだろうかと思いながら生活している。

里帰り中も夫は実家に来てくれて育児を手伝ってくれていたが、私は夫のオムツ替えのスピードが遅いだけで「オムツ替えのスピードが遅い!毎回そんなに長い時間かけてたら日が暮れちゃう!家に帰ったら育児以外にも家事とかいろいろやることがあるんだから寝る時間がなくなっちゃうよ!」と怒っていた。今から思えば、オムツ替えのスピードが遅いだけでよくそんなに怒れたものだと思う(笑)

しかし、そんな状態でも、必要なことは教えた上で一度夫に子どもを任せて出かけてみたりすると、意外となんとかなっていたりする。私も里帰りを終えて家に帰って、最初に夫に息子を任せて外出した時は「え?本当に大丈夫だった??本当に???」と思って夫にいろいろと聞いてしまったが、夫はなんでもなさそうに質問に答えるだけだった。息子もいつも通りのようだ。一度任せて放っておいただけで、「ああ、あんなんでも意外と大丈夫なんだな」と感じることが出来た。もちろん、夫はいろいろと苦労することがあったみたいだったが、大変だったことをを聞いても「ああ、それいつもやる。大変だよね。どうした?」と普通に質問することが出来た。そして、それからは「任せても意外となんとかなる」という思いで夫に育児を任せることが出来るようになった。

夫に息子を任せる時間が増えると、私も知らなかった息子の特徴や好きなことを夫の方から教えてくれたりもする。私がどうしたら良いか解決方法が分からないことも、夫が解決方法を知っていたりする。また、息子のことを二人で共有することで、こうなったらどうすればよいのかと一緒に考えて解決策を見つけたり出来る。息子の育児にしてもお互い得手不得手があるので、苦手なことは相手がやるということが出来るようになる。そうなると、育児がグンと楽になる。

夫に育児を任せてみるのは、月齢が低ければ低いほど良い。なぜかというと、月齢が上がってくるにつれて、自我が出てきて、「これが好き」「あれが嫌い」「これをされると喜ぶ」「あれをされると嫌がる」というような説明が多くなってしまうからだ。そういうことは、母親だけが知っていてると父親に教えなければならない事柄になってしまうが、二人で育児していれば成長の証として前向きに受け取れる。月齢が低いと心配事もかなり多いが、積極的に夫に子どもを任せてみるべきだと思う。最悪、死んでいなければokくらいの気持ちで。

日本では父親が育休をほとんど所得していない現状があり、休みの日も育児に参加しない父親が多いようだが、せめて休みの日だけでも、父親は積極的に育児に参加して欲しいなあと感じる。そして、それを母親も寛容な気持ちで見守ることが出来れば良いなあと思う。あまりにも育児している時間に違いがあるようだと母親はなかなか心穏やかにはいられないだろうけれど、父親も子どもの成長を感じることが出来れば嬉しいだろうし、それをパートナーと共有できればもっと嬉しいだろうと思う。

一度父親に育児を少し任せてみることで、父親も育児の大変さややりがいをほんの少しだけでも感じることができるだろうし、そこから見えてくる世界があるのではないだろうか。

私のブログが書籍化します

4月26日に晶文社から私の半生を書いた本が出版されます!!

タイトルは「発達障害で普通に生きられなかったわたし交際0日で結婚するまで」です。

ブログの内容だけでなく、新たに書き下ろしたお話もたくさん盛り込まれています。

 気になる方はぜひご予約ください。よろしくお願いします。

 

私は小学4年生の頃に、クラスの学級崩壊と母親に勝手に決められた中学受験の影響で、強迫性神経障害になってしまいました。そこから、ずっとまともに学校に通えたことはありません。現実は、普通に生きたいという自分の思いとは真逆の方向にどんどん進んでいってしまいました。それでも、生きるためになんとか普通のレールに乗ろうともがき続けましたが、大学在学中についに自分は普通に生きることは出来ないということを悟り、絶望しました。普通に生きることを諦めた私は自分の生き方を色々と考えた末、あることを思いつきました。それは、「結婚して養ってもらってなんとか生きながらえよう」ということです。普通に生きられない私は、普通に働くことはもちろん出来ません。働けないということは、お金を稼げないということです。しかし、生活をするにはお金を稼ぐしかありません。そこで、私は誰かに養ってもらって生きれば良いのではないかと考えました。実際に私と結婚してくれる人がいるとはあまり考えられませんでしたが、とにかく私は行動を起こし続けました。その結果、今の夫と出会い、突然プロポーズされ、交際0日で結婚することになります。そして結婚したことにより、それまで感じていた様々生きづらさが解消され、幸せを感じられるようになりました。この本は、生きることに絶望を感じ、生きていて幸せだと感じることがなかった私が、結婚して幸せを感じられるようになるまでの物語です。

今はなんでも「自己責任」で片付けられてしまうような息苦しい世の中です。誰もが自立して生きていくことを求められています。しかし、どうしても自立して生活していくことが出来ない人もいます。そういう人はどうしたら良いのでしょうか?私はそのような人たちに、「結婚」という一つのソリューションがあることを伝えたいという思いで、この本を執筆しました。今、生きづらさを感じている人にぜひ読んでいただきたいです。

 

 本の表紙のデザインは、漫画「坂本ですが?」や、湊かなえさんの小説「白ゆき姫殺人事件」などの表紙のデザインをされている芥陽子さんhttp://monakaya.net/tag/akuta-yoko/に手がけていただきました。イラストは、イラストレーター、おのしのぶさんhttps://twitter.com/shinobuono_の書き下ろしです。とっても可愛い雰囲気に仕上がっていて、私も気に入っています。

帯は、「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年のこと」を執筆された花田菜々子さんhttps://twitter.com/hanadananakoと、「しょぼい起業で生きていく」など多数の本を出版されているえらいてんちょうさんhttps://twitter.com/eraitenchoに書いていただきました。

 

本は息子を妊娠している時に書いており、毎日原稿と格闘する日々でした。幸いつわりが終わってからは私の体調に何も問題はなく、家で書き進めることが出来ました。しかし、起きている間は毎日「少しでも書き進めなきゃ」と思っており、起きるとまた原稿と向き合わなければいけなくなるため、起きるのが嫌でいつもより長く寝ていたりしました(笑)そんなこともありながら無事に書き終えた原稿が、こうして本という形になって、出版されることになり感慨深いです。文章を書いた経験すらあまりない私を完成まで導いてくださった編集者の安藤聡さんと深井美香さんに深く感謝しております。

 

この本が、今苦しんでいる方に少しでも希望を与えてくれることを願ってやみません。

久しぶりすぎる日記

ブログ名に「てきとー日記」と書いてあるのに最近は全然日記を書いていなかったので、今日は日記を書こうと思う。

息子は昨日20時半に寝て、一度6時半に起きて泣いたが、夫がミルクを飲ませたらすぐ寝た。そこから私もまた寝て8時半に起きた。息子はまだ寝ていたので、少し仕事をした。夫が10時頃起きてきたので簡単な朝食を用意する。10時半に息子が起きる。起きたものの、「あうー。うー。」などどご機嫌にお話ししていた。私の顔が見えるとニッコリ笑う。朝起きた息子が私の顔を見た瞬間にニッコリ笑ってくれるこの時間が私にとっては一番幸せな時間だ。

それにしても息子はよく寝る。2ヶ月になった頃から夜連続で7〜8時間は寝てくれるようになって、今は9〜10時間連続で寝ることもしばしばある。しかもその後もミルクを飲むと寝かしつけをしなくてもすぐに寝てくれて、大体朝10時くらいまで寝ている。少し寝すぎではないかと思うくらいだ。昼寝も毎日1時間半〜2時間半くらい連続でする。そのため、起きている時間が短すぎて、ミルクの回数が少なくなる日がある。これで大丈夫か心配になって4ヶ月検診の時に先生にそのことを話すと、先生は「よく寝るならお母さん楽でいいじゃないですか。体重は順調に増えているので何も問題ないですよ」と言ってくれたので安心した。私は今でも寝るのが大好きだが、赤ちゃんのころからよく寝る子だったそうで、2ヶ月の頃から夜連続で9時間寝ていたらしい。私の母親も寝すぎではないかと心配になって3ヶ月検診の時に先生に寝すぎではないかと聞いたそうだ。その話を思い出し、遺伝ってすごいなあと思う私であった。

息子は起きてもご機嫌だったので少し様子を見ていると泣き始めたのでミルクをあげた。そのあとは朝のご機嫌タイムだ。この時間は何もしなくても私と夫が見えているとご機嫌で「あうー。あぐー。うー!」などどお話ししたり笑ったりじている。寝つきだけでなく寝起きも良い息子、素晴らしい。

今日は13時から、お子さんのいる知り合いの若い夫婦を家に招いてピザパーティーをした。奥さんの方から、最近新型コロナウイルスの影響で外出することがなかなか出来ず、ずっと娘と家に一緒にいて疲れてきてしまっていると連絡をもらったので、今日はピザをデリバリーして私の家でパーティーを開くことにしたのだ。家に来ていただいて、テーブルを挟んで向かい合って座った瞬間、息子が泣き出してしまった。ミルクが欲しい時の泣き方とは違い、寂しくて泣いている時の泣き方だった。最近人見知りが始まったので、よく知らない人が目の前にいて少し怖かったみたいだ。なかなか泣き止まなくて、ピザを食べるどころではなくなってしまって大変だった。何をやってみても泣き止まないので、結局ミルクを飲ませることにした。あまりお腹が空いていなかったようで、少ししか飲まなかったけど泣き止んでくれたので安心した。やっと落ち着いて、ピザを食べながら子どもが産まれた時の話など、色々な話をした。私も知り合いの奥さんも産後すぐの頃は慣れない子育てで鬱のような状況になってしまったので、その頃の話は共感出来て楽しい。途中で子どもを寝かせたりしながらも話し込んでしまい、17時過ぎまでまでずっとお話をしていた。最近夫以外の人とあまり話していなかったので、とても楽しかった。帰り際にまた息子が泣き始めたので、ミルクを飲ませた。そのあとのミルクが今日最後のミルクだ。私は1日の最後のミルクはお風呂に入れた後に飲ませて、そのあとはすぐに寝かせているので、最後のミルクの1時間前にお風呂を洗ってお湯を入れる。お風呂のお湯を入れている間に夜ご飯を食べた。息子をお風呂に入れ、夫がミルクを飲ませたら息子はすぐに寝てくれた。息子は大体最後のミルクの途中に寝始めるので、寝かしつけをする必要がなく、寝かせるのがとても楽だ。たまにミルクを飲んでくれなかったり、ミルクをあげようとすると暴れ始めたりするが、それでも最後はちゃんと寝てくれるし、大体はすんなり寝てくれる。

大体19時〜20時半の間には寝てくれるので、そこから家事や仕事が出来る。まあ、息子が起きている時は息子の相手をしていると他には何も出来ないので、朝息子が起きる前と寝た後にしか集中して何かをすることは出来ないが。それでも自由な時間があるのはありがたい。たまに、息子はとても育てやすいので、まるでポンコツな私を選んで産まれてきてくれたみたいだなあと感じる。世間では「子どもはママを選んで産まれてくる」とよく言われている。私はずっとそんなわけないと思っていたのだが、実際に息子を育てる中で、本当にそうなのかもしれないと思い始めている。夫は普段はそんな言説はスピリチュアルっぽいと言って毛嫌いするタイプだが、その夫でも最近は「本当にまなさんを選んで産まれてきたみたいだ」と言う。そのくらい育てやすい良い子だ。そのおかげもあってか、最近は息子が可愛くて可愛くて仕方がない。特に私を見て笑う姿は最高に可愛い。毎日息子と過ごせて幸せだなあと思う。明日は何時まで寝てくれるかなあと思いながら今日もこれから寝ることにする。